2009年05月30日

新聞に

今朝の静岡新聞に掲載されました。


昔、知り合いの新聞記者の方に言われました。
『「演劇をやらない素人が演劇やる」ことはニュースになる。でも、「演劇やる人が演劇をやる」というある意味当たり前のことはニュースとして大きく取り上げるのは難しい。佐藤さんたちがやる芝居の方が面白く価値ある芝居であったとしても。」

そんなわけで、今回も「演劇祭」という企画ものにしたので大きく取り上げてもらいました。
本音は、これを入り口に「本公演」まで観て欲しいわけですけどね。
だって我々、イベント屋ではなくて、演劇人ですから。
  

Posted by 伽藍座長 at 14:39Comments(0)TrackBack(0)日記

2009年05月29日

けんかばいばい

鷹匠演劇祭のチラシの冒頭にこう書いた。
「演劇は「敷居が高い」「大きな劇場へ行かないと観られない」と思っているあなた。実は演劇は「身近なところ」でも、「小さな空間」でも観られます。」
読む人が読むと
「喧嘩売ってる?」
ってな言い方です。

「鷹匠演劇祭」のメインである劇団の本公演、初日は6月13日。
SPACの「春の芸術祭」の演目初演が6月13日。
「初日ぶつけてきた?」
と言われたり。
いや、うちは何年も前から6月の第二土曜が初日ですから。今回は向こうが初日ぶつけてきたんだよ。って。

喧嘩の売り買いはいったいどっちからだったのか?
まあ、多分私が喧嘩売ったんでしょうな。それも
「お買い得だよ」
っていう喧嘩の売り方で。
で、うまいこと買って出たので、こんなことになってる。
(「買った」っていってもお金がこっちに流れるなんてうまい話はないのだが)

いや、ほんとはね
今までは喧嘩さえさせてはくれなかったんだよね。

昔、我々は単に
「演劇好きでやってる連中なんだから、観に来るのは当然だろう」
みたいな空気があったりして。

それがいつの頃からか(時期はわかってるんだけど・・・)
変わっていったような。

以前のもやもやは
「演劇人」として扱ってもらえないことに対しての反発だった気がする。それは極端に言えば「俺の作っているものが芸術で、お前の作っているものは芸術ではない。演劇でもない。」と言われてるような。いやこれは言いすぎなのかなぁ・・・
だからだろうか、今でも「芸術」という言葉に素直になれない。

今は
お互い「演劇人」として話をしている。
そういう意味では、地元の劇団の一つという認識で付き合っている。
しごく当然の成り行きか。

でも、
同じ演劇だとは言っても
表現方法や
物理的な条件や
いろんなものが違うから

「対比」

としての喧嘩を続けることになるんだろう。


あとは、この戦いが孤独なものにならないようにしたいのだ。  

Posted by 伽藍座長 at 18:15Comments(0)TrackBack(0)日記

2009年05月24日

気持ち

稽古で
「気持ちを引き出す」
必要があるときによくやるのは
「動きをつける」
です。

この「動き」も間違えると
「身振り手振りのジェスチャーゲーム」みたいになってしまいますね。

私がよく使うのは
・視線の方向を指示する
・立ち位置を指示する
の二点。

これも間違えると、「気持ちを引き出す」事に関しては逆効果になる。

<視線の方向を指示する>
最もよく使うのは、
「相手役を見る」
見ると気持ちがわいてくる。
普段の生活で、人の目をじっと見て話をするときなんてあんまりないから、特に「相手役と視線を合わせる」ということをするだけで妙な気持ちがわいてくる。それに「せりふ」という言葉が加わると、その「妙な気持ち」が「せりふ」で言っている内容とリンクしたりする。そういう可能性が高い気がするので、よく使う。
これと同じような感じで
「相手役から目をそらす」「カバンをず~っと見てる」「誰もいないところを見る」
なども。

<立ち位置を指示する>
現場で一番よく使う指示は
「客にケツを向けろ」
です。
「客にケツを向けるな」では決してありません。
何でか?っていうと、「客にケツを向けないように」と動くのは「役の気持ちに従って動く」妨げになるからです。よく現場で目にするのは、「気持ちでは、こう動いていきたいんだけど、客席から見えなくなるから、そうは動けない」と思いながら動く(動けない)役者です(本人に自覚があったりなかったり)。
だから、まず楽に役の気持ちで動いてもらうために「客にケツを向けろ」みたいなことを言います。
次に
「相手役との距離をこのくらい取って」
相手役との関係で、近くにいるほうが良いか?遠くにいるほうが良いか?があります。あるいは「近くにいたくないけど、近くにいる」「傍にいたいのに、いられない」なんてところからドラマは始まります。
だから、気持ちを作りたいときは、相手役との適度な距離をとってもらうようにします。
ここまで書くとわかると思いますが、ここで言ってる「立ち位置」というのは
「気持ちを作りやすい立ち位置」
ということです。


以上の二点は現場でも使われることが多い指示であると思いますが、多くは
「見栄え」
を考えての指示だったりします。
これを
「気持ちを引き出す」
という視点で使うと、目からうろこが落ちてきます。

そして、お気づきだと思いますが、どちらも
「相手役」
との関係が重要です。
「気持ちをつくる」といって、自分の中でえっちらおっちら気持ちをしぼりだそうとするんでなく、
「相手役を意識する」ことで、「それをキッカケにして気持ちを引き出す」
という方法がやりやすい、と私は思ってます。

一人芝居やってても、必ず架空の「相手役」を作ります。その方がやりやすいから。
それよりも「モノローグ」の方がやりにくいです。相手役もいないのに、気持ちを自己完結させなくちゃならないモノローグ。
だからか、私の書く脚本にモノローグが少ないのは。と、今気付いた。

もちろん、役者が「役の置かれた状況をイメージしたり」、「役の過去を考えたり」といったことも役の気持ちを作っていく上で重要です。
だから今日、上に書いた二点は、演出としての私がよく使ってる「現場で気持ちを引き出しやすくする方法」として読んでいただけたらいい、と思います。  

Posted by 伽藍座長 at 00:34Comments(2)TrackBack(0)日記

2009年05月19日

チラシ

鷹匠演劇祭のチラシが出来ました。
基本三つ折ですが、折らなくても使えるように出来ています。
どちらでも使えるように、と印刷屋には折らずに納品(安いというのもあるが)してもらいました。
と、いうことで
暇があると折ってます。
いつも公演案内が郵送される人は来週辺り送られるはずです。
他に、鷹匠のお店(裏路地会の店を中心に)などに置いていきます。
SPACの公演には折らずに挟み込ませてもらうつもりです。
とにかく折れるものは折っておかねば。
  

Posted by 伽藍座長 at 18:05Comments(0)TrackBack(0)告知

2009年05月18日

字面以上のもの

何か珍しくリアクションがいくつかあったので、もう少し話してみよう。

ある日、稽古場で、ある役者が、何だったか英語の曲を覚えたい、といって携帯だかで歌詞を手に入れた。
しかし、英語なので意味がよくわからん。単語の意味を一つ一つ調べ始める。
しばらくして、「あ~こんな意味だったんだね」と。
さて、歌詞を覚えようとしたら、本人曰く「あ、もう覚えてる」。

そんなことってありますよね。
意味がわかると、せりふが入るって、こういうこと。

で、もう一つ。
私も昔、英語やフランス語の曲を覚えたくて、カセットテープに録音したのをノートにカタカナ書きしたりしたのを覚えてます。みんなそんな思い出あるんじゃないでしょうか。
でも、カタカナ書きなので、綴りわからず、辞書で調べることも出来ず。
でもその時の歌はいまだに何となく歌えたりします。

こういう「意味もわからんのに覚えてしまう」ってこともある。
でも、この場合、「歌」だから。
歌は字面じゃないから。
声であり、気持ちがあるから。
それに「耳で覚えてるから」。
カタカナで書いても英語やフランス語なんかをうまく表記できないから、「これは参考までに」ってことになって結局耳で覚えましたね。

英語の芝居を、字幕無しで観たりする。
それでも何となくわかる。
正確に細かいところは間違って認識してるかもしれないけど。
舞台上で起こっている事件を詳しくはわからない。
でも、舞台上の登場人物の気持ちはわかったり。

高校生と大ホールで芝居やったとき、言ったことは
「声を届かせよう、と思わなくていい。気持ちを届かせようと思えば、伝わるから」
そんな根性論みたいな話に聞こえるが、
(実際「声を~」と思うと力はいってかえって身体に共鳴しにくくなることが多いから、「気持ちを~」という方に意識を持っていったほうが、肩の力が抜けて身体に共鳴しやすくなり、結果声も聞こえやすくなる、といったような理屈もあるんですが)
その時の舞台で大事だったのは、「言葉の細かい意味」じゃなくって「気持ちの揺れ動き」だったから。
英語でも伝わるんだから、日本語で多少聞き取れなくても伝わるだろう、っていう楽観的な考えでね。

さて
英語の苦手な私は、日本語を話さない人とは、お互いの知っている片言の日本語と英語でコミュニケーションをとります。というかとらざるをえない。それでも何となくわかりあえる。(ホントは微妙に誤解しあってるのかもしれないけど)
もし電話でこれやろうと思ったら無理です。
テレビ電話なら少しは何とかなるかも。
でも、対面でやるのが一番確実なはず(私が英語勉強するのが、本当はもっと確実なんですが、それは今は置いといて)
それは
「空気を共有する」ことで得られる理解
とでもいうんでしょうか。
それがうまくいったら、演劇もうまくいくんじゃないか。
なんて思っているのであります。  

Posted by 伽藍座長 at 17:19Comments(2)TrackBack(0)日記

2009年05月16日

せりふ

前のブログに「せりふ入ったら本番」な話を書きました。
うんと昔に「せりふは入れるんじゃなくて、入るものだ」ってな話を書いた気もします。

ということで「せりふ」について思うことを。

せりふは、やはりいまだに「入れる」ものじゃなくて「入る」ものだと思ってます。
だから稽古でも「せりふ入らない」といって悩む役者にも「そのうち入るから」といって待ちます。(もちろん「ちゃんと本を読んでいれば」って前提ですよ)
それは、「早く入れるよ」とプレッシャーをかけると、役者はとりあえず暗記しようとする。それもまずは自分のせりふだけを。その気持ちはわかる。なにしろ日本の教育はそれが「最も確実な勉強方法である」としているのだから。
しかし、こと演劇のせりふに関しては弊害が生じることが多い。
演劇のせりふは「字面(じづら)」ではないからだ。(「字面」をウリにする演劇もあるだろうが)
演劇は身体と気持ちと言葉がつながって初めて「表現」になると思うからだ。
だから、字面を暗記してきただけの役者は、言葉が身体や気持ちと繋がっていないのだ。現場ではそんなアンバランスな状態の役者の、身体と気持ちを字面につなげて、字面を言葉にしていかなければならない。しかも役者が、字面を暗記してきているので「そこそこ出来ている」気になっていると、それに気付かせるのにさらに時間がかかる。
だったら、はじめから身体と気持ちと言葉をつなげて稽古するほうが、せりふの入りは遅いかもしれないが、結果的に限られた稽古時間を有効に使える。いや、その方が「せりふの入りはいい」。
そう経験として思っているからだ。
「せりふの入りはいい」と断言したが、それは私の思う「せりふの入っている状態」という意味だ。
人によっては「字面を暗記すること」=「せりふが入った」であるかもしれない。
でも字面だけ暗記する方が難しいんだよ。字面の意味を知って読んでるほうが入りやすいでしょ。

せりふに限らず、言葉を覚えることってそうじゃないですかね?
その言葉だけじゃなくって、その言葉の意味を知っておくほうがその言葉を覚えやすい。身体で覚えた方が忘れない。

人と人とのコミュニケーションは、言葉で無い部分で伝わることが多いですよね。
言葉ではこう言ってるけど、目はそう言ってない、とか。

伝えたいのは「気持ち」であって、その気持ちを補完するために「言葉」があるんだ、って思います。
だから本当に大事な話は会って話をしたい、と思います。会った時に感じる相手との空気感が大事なんじゃないか、と。
その大事なものって、これもまた言葉にしにくいもので。
だからそれを表現する一つの方法として、
私は演劇をやっているのだ、と思っています。  

Posted by 伽藍座長 at 23:53Comments(1)TrackBack(0)日記

2009年05月15日

CM

先月、久しぶりにCM撮影をしました。出演のね。
最近、CMの話が来て、希望に合う役者に話して、現場に連れて行って、とすっかりタレント事務所のマネージャー化してましたが、久しぶりに出演という感じでした。
それが、最近ON AIRされてます。ものは、
「国民健康保険の特別検診を受けましょう」
っていう内容のもの。
特定検診を「まあ、受けなくってもいいか」って言ってサボろうとしてる果物屋の店主役です。
CM見ながら、「今年は特定検診を受けなきゃ」と思うのでした。(昨年はサボりました)  

Posted by 伽藍座長 at 23:22Comments(0)TrackBack(0)日記

2009年05月11日

舞台が楽しくなってくるのは

昨日、6月の公演の通し稽古をした。
そろそろ一ヶ月前なので。
まあまあ、いけそう。
で、こっからあと一ヶ月あるのだから、まだまだいろいろとできるわけだ。
目に見えて飛躍するわけじゃないが、なんというか、熟していく感じの一ヶ月。

プロの芝居は置いといて
時々、「やっとせりふ覚えたら本番」っていう現場に遭遇する時がある。
そういう現場は切羽詰ってるわけだから、それでも本番終わったときに妙な達成感があったりする。
「よくあの状況で、本番乗り切れたよねえ、お疲れ様」みたいな。
それが好きでやってる人もいるだろう。私もそんな現場を乗り切ったときは、それなりに達成感はある。が、お客として関わる場合は勘弁してほしいや。

熟してないまま、青いまま店頭に並べられたトマトをうっかり食べちゃったら、どうしましょう。
「これ青トマトだから」と言われたらしょうがないんだろうか。
青トマトばかり食べてる人はその固さや、ちょっとした苦さが好きなんだろうか。
私はトマトは赤くなって甘くなってから食べたいです。
いや、青トマトばかり食べてる人は赤いトマトの甘さを知らないのかもしれない。
だから現場では青トマトによく遭遇するのかもしれない。


さて、自分の舞台がやっと形になって、つまりトマトの形になって。
でもまだ青いから、これからうまく熟すように手をかけていかねばならないのだ。
これが結構楽しい。
ということを、どこかの現場の人に伝えたい。  

Posted by 伽藍座長 at 17:06Comments(2)TrackBack(0)日記

2009年05月07日

というわけで

本日の「水曜いきまSHOW」では久しぶりに「日吉町原発」を上演して来ました。

で、momi-naのライヴ。
心地よかったです。
う~ん、何て言っていいんだか?心地よい矢野アキコ?いや、矢野アキコが心地よくないって意味じゃないんだ。あそこまでアクが強くなく、すんなり入り込んでくるようなヴォーカルとスッキリまとまった楽曲と。
CD買ってしまいましたが、収録されていないバラードがもう一度聴きたいなぁ。

途中、今回彼らを静岡に呼んだ「アニキ」のパフォーマンス時に、「ミスター、シュガー!」と呼び出され、momi-naとセッションしました。
本日の使用楽器はこれです。

演奏方法は秘密です。聴いた人だけわかる。2オクターブほど使えます。
  

Posted by 伽藍座長 at 00:21Comments(2)TrackBack(0)日記

2009年05月05日

ライヴ告知

明日、5月6日水曜日20時~
「水曜いきまSHOW」をFreakyshowでやります。
投げ銭制です。

さらに21時~「momi-na」という東京のバンドのライヴもあります。
こちらは500円(1ドリンク)+投げ銭ですので、お時間ある方はそちらも。
http://momi-na.ciao.jp/mlive.html

「momi-na」は前から気になってたバンドなので、私も楽しみにしてます。ツアーの帰り道に静岡に立ち寄ってくれるようです。しかし、500円で1ドリンクって、結局ドリンク代だけだよ。お得すぎるよ。

Freakyshowの小坂君からは「何かコラボできない?」と提案されてるのでひょっとしたら何かやるかも?  

Posted by 伽藍座長 at 23:56Comments(0)TrackBack(0)告知

2009年05月02日

鷹匠演劇祭

6月と7月に劇団の公演を行いますが、それに合わせていくつか企画を練っております。
それらを「鷹匠演劇祭」と銘打ってまとめています。
別で告知専用のブログを作ったので、チェックしてみてください。

http://takajo.eshizuoka.jp
です。

「たかじょう劇場」以外はほぼ決定です。
「たかじょう劇場」は徐々に詳細を書き足していきますので、時々チェックしてください。
よろしく。
  

Posted by 伽藍座長 at 22:44Comments(4)TrackBack(0)告知