2016年01月26日

「外郎売り」を訳してみた

アナウンス学校・俳優養成所・高校演劇部などでよく発声練習の課題として使われるのが「外郎売り」。三代目市川団十郎で有名な歌舞伎のセリフです。いくつかのバージョンが流布してますが、内容の意味を解説したものはほとんど見当たりません。意味もわからず唱えるよりは「こんな内容を語ってるんだな」と何となくでも把握しながら唱える方が声の響きが違ってくるのになぁ、なんて思います。
そんなわけで、いろいろな掛詞や、解釈が諸説ある案件などもありますが、「内容としてわかりやすい」ことを優先して私が独断で今風に訳した「外郎売」でございます。参考にしていただけたらうれしいです。


「外郎売り」

私の「親方」という方は、皆さんの中には知っている方もいらっしゃると思いますが、
江戸から京都に向かって八十キロ、神奈川県小田原の一色町から青物町を西に向かったところにいる「欄干橋虎屋唐衛門」というお方でして、今は頭を剃って隠居して「円斉」と名乗っております。
元旦から大晦日まで一年中手に入るようにいたしましたこの薬は、昔、中国あたりから日本に「ういろう」という人が持ってきたものであります。この「ういろう」さん、天皇陛下のもとに参る時にも、この薬を仕舞い込んでて使う時だけ一粒ずつ帽子の隙間から大事に取り出しておりました。その様子から天皇陛下が「透頂香」と名づけられたのです。すなわち文字にすると「頂き」「透く」「香い」と書いて「とうちんこう」とも言います。
最近ではこの薬が大変世間で評判になっており、いろんなところに偽看板が出て、「小田原の」というならまだしも、「灰俵の」「さん俵の」「炭俵の」と、もはや「だわら」しか合ってないぞ!ってくらいにいろいろ言って売られておりますが、ひらがなで「ういろう」と書いているのは、うちの親方の円斉だけです。
もしも、ここにいる方の中で熱海か箱根へ湯治に行かれるか、お伊勢参りに行かれる際は必ず入る店を間違えないでください。
京都へ向かう時は道の右側、江戸へ向かう時は道の左側、周りに八つの棟があって、そのうち表通り側に三つの棟がある御殿風の建物。屋根の合わせ目のところには菊の御紋と桐の御紋を使うことをお上からお許しいただいているという、しっかりとした家系の薬なんです。
いやいや、さっきからうちの店と薬の由来の自慢ばかりになっちゃってますねぇ。これ、知らない人には「胡椒を丸呑みしたら辛さわかんないよ」とか?「夜船に乗って観光なんて何にも見えなくてわかんないよ」とか?って感じのわからなさ?
でしたら一粒食べてみて、その効き目をお目にかけましょう。

まずはこの薬をこのように一粒、舌の上に乗せまして、飲み込んでみますと、何とも言えないくらい、胃、心臓、肺、肝臓の調子がよくなって、さわやかな香りがのどから口の中に流れてくる。魚・鳥・茸・麺類の食い合わせで体調不良になったりした時とか、いろんな病気に対しても速効性がある様はまさに「神」。

さて、この薬の第一のすごいところは、舌がすごい回るようになって、くるくる回る銭ゴマが裸足で逃げ出しちゃうくらい。ひょいと舌が回りだすと矢や盾で武装したって堪らない。
そりゃそりゃそらそりゃ舌が回ってきたよ、回って来るよ。
「ア行」「ワ行」「ヤ行」は喉で作る音、「サ行」「タ行」「ラ行」「ナ行」は舌で、「カ行」は犬歯あたり、「サ行」は歯の音、「ハ(ファ)行」「マ行」の二つは唇の合わせ方の軽い重いの差で作ってね。口を開けてさわやかに「あかさたなはまやらわ」「おこそとのほもよろを」。
一つの皿に、へぎ干し餅とはじかみ生姜。
盆お供えの豆、米、ごぼう。
摘みたてのタデ、豆、山椒。
書写山で写経してるお坊さん。
「粉になっちゃった米を噛んでも生噛みになっちまうよ」って三回言ってみた。
繻子、紅染めの繻子、繻子、色とりどりの繻子。
「親も嘉兵衛で、子も嘉兵衛だってよ」「親がかい?子がかい?」「子が嘉兵衛で、親も嘉兵衛だよ」
古い栗の木を切った古い切り口。
雨合羽か、番合羽かどっち?
お前の脚絆も皮の脚絆で、わしらの脚絆も皮の脚絆で一緒だ。
尻部が皮で出来てる袴の、ちょいとしたほころびを、三針くらいちょっと縫って、縫った奴をちょっと出せよ。
河原のナデシコ、野のセキチク。
野良の如来様、野良の如来様、三つの野良の如来様、六つの野良の如来様。
ちょっと先にある小さな仏様につまずかないで。
細い溝にドジョウがにょろり。
京の生のタラ、奈良の生のマナガツオ、ちょっと18キロくらいおくれ。
お茶を立てろ、茶を立てろ、素早く立てろ、茶を立てろ、青竹の茶せんでお茶を素早く立てろ。
来るぞ来るぞ、何が来る? 高野山のお寺の小僧が何でか知らんが、狸を百匹、箸を百膳、天目茶碗で百杯、棒を八百本持ってくるぞ。
武具と馬具と、武具と馬具と、三揃えの武具と馬具と、他にも合わせると武具と馬具が六揃え。
菊と栗、菊と栗、三つの菊と栗と、他にも合わせると菊と栗が六組。
麦とゴミ、麦とゴミ、三つの麦とゴミと、他にも合わせると麦とゴミが六つずつ。
あの長押に乗ってる長い長刀は、誰の長刀だ?
向こうのゴマの殻は、エゴマのかい?マゴマのかい? あれこそ本物のマゴマの殻だぜ。
「殻(ガラ)」っていやぁ、がらぴいがらぴいって風車は回るよね。
起き上がりこぼし、起きやがれ!小法師。夕べもこぼして、またこぼしたー!
たーぷぽぽ、たーぷぽぽ、ちりからちりから、つったっぽ。ってお囃子が入ります。
たっぽたっぽのタコを一丁、そいつが落ちたら煮て食おうか。
でも煮ても焼いても食べられないものといえば、五徳、鉄球、金熊童子ってこりゃ金属だからね。石熊童子、石餅は石だからね。虎熊童子、虎キスは虎だからね。って今出てきた童子は酒呑童子の子分「四天王」なんで人間だけどな。
その酒呑童子の子分の中でも東寺にある羅生門にいる茨城童子はすごいよ。切られた腕で栗を五合つかんでお蒸しになっとりますからな。
で、その酒呑童子を退治した源頼光のお膝元にいたのは「頼光四天王」と言われる頼光の家来のフナ(渡辺綱(ツナ))、キンカン(坂田金時(キントキ))、シイタケ(占部季武(スエタケ))サダメテ(碓井貞光(サダミツ))、の豪胆な四人。そうそう鮒、金柑、椎茸ってのは後段と言って食事の後の軽食で出たりしますよね。
他に後段といえば、そば切り、そうめん、うどんもそうか? 愚鈍な小坊主、は違うよな。
小さい棚のちょっと下の小さい桶に、ちょっとした味噌が少しだけあるんで、小さい杓子をちょっと持ってきて、少しすくって、ちょっとくれや。
よっしゃ!わかった!心得た。田んぼばっかの川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚だったら走っていけるぜ、って走ったら膝下をすりむいちまった。膝下っていやぁお灸すえる「三里」の場所じゃねぇか、じゃあ三里くらい走ったんかい。まだ走るよ。
藤沢、平塚、大磯と大忙しで走って小磯の宿場を、朝4時くらい(明け七つ)に起きて早朝から早々と、小田原から「透頂香」を持って来ました。やっと話が戻りましたよ。
隠すところもありません。身分の高い人も低い人もたくさん集まる華やかな江戸、その江戸の花と重ねてみましょう「ういろう」を。
あれ、あの花「ういろう」を見て、お心をお和らぎなさい。
「おぎゃぁ」と生まれたばかりの子や、這い這いしてる子にまで、この「ういろう」の評判を知りませんなんて申されまい、まいまいつぶりはカタツムリ、角出せ、棒出せ、ぼうぼう眉も出せ。ボウボウと火を起こして飯の時間だ!臼、杵、すり鉢持ってこい!バチバチ、グワラグワラグワラと煮立っちまって、うるさいくらいに羽目を外しておりますが、私。
今日ここにおいでになる方たちに、「差し上げねばならない」っていうか、「売らなければならない」と、息を込め気を張って、東方世界にいらっしゃっる薬の元締めでもあられる薬師如来様もご覧くださいと! ほほぉ! 敬って申し上げます。
「ういろう」はご入用ではありませんか?!


  


Posted by 伽藍座長 at 00:21Comments(0)演劇

2010年12月15日

演出の仕事

今日の稽古で思ったこと。
まぁ、いつも思ってることなのですが、
それらをちょくちょくと、ここに(ネタバレですが)書いて行こうと思います。


演出の仕事は
芝居の流れにメリハリをつけること。

メリハリは私が扱うものは二種類あって
「緩急」と「強弱」。

役者は自分の役を一生懸命やってますので、客席からどう見えるかわかりません。
「役者は、客席からどう見えてるか、常に把握していろ!」
という考えもありますが、私は
「それは演出の仕事だから」
といって、役者には自分の役を一生懸命生きてもらいます。

だから、演出は客席からどう見えているか?を見ること。
そして、「ここはこういうふうに伝えたい」
ということを見極めて、そういうふうに伝わるように役者に指示を出すこと。

そう考えると、
演出は役者が出来なくってもいいんです。役者経験者でなくていいんです。
いい観客が出来れば。いい観客経験者であれば。


「ゲネ」というものがあります。(厳密にはリハーサルと違うんですが、最終リハだと思ってください。)
俗に「観客を入れない本番」などと言ったりします。
自分が演出していて、うまくいってる芝居の時
これは「演出だけのための本番」となります。
自分ひとりの観客のためにやる本番。

この贅沢を体験する時
「あぁ、演出やってて良かった」
って思います。
だって、自分が演出する芝居は
自分が観客としてみたい芝居
なのだよ。
そんな贅沢を今回も味わってみたいなぁ。


ま、うまくいってない芝居の時は
そんな楽しむ余裕無かったり
客席にいられなかったり
ゲネなのに、ダメ出しメモに掛かり切りだったり
しちゃうんですが・・・  


Posted by 伽藍座長 at 02:22Comments(0)演劇

2009年08月16日

台本を書く-3

以前
「本を書くぞと思ってから急いでいろいろ体験しても消化不良で終わっちゃう」
ってな話をしました。

で、今、本を書くためにいろんな本を読んでいます。

おい!矛盾してないか?
と思われるでしょう。
言い訳をします。

本を書いている時に本を読む理由は大きく分けて二つあります。
一つは「書こうとするものの裏をとる」
もう一つは「刺激する」

一つ目は資料集めです。
自分の中で書きたいものが出来て、それを書いていくのですが、時々専門的なこととか、自分の知識の足りないところとか出るわけです。まあ、演劇を観に来る人は勉強をしに来る人ではないわけなので、多少事実と違ってもよいのかもしれません。というか、何しろあくまでフィクションですし。
しかし、なるべく自分の書く話に説得力を持たせたい、と思うのです。
そうすると、いろいろと調べ物をしたくなるわけですよ。
その時に
今まで全く未知だった世界を知り、「わ、面白いな」と思ったことをガンガンと本に足していくと、食べすぎで消化不良になってしまうんです。もし、そこで面白いものを見つけたら、それは「次回以降にストック」して、元々のお話に必要な部分だけピックアップ。
元々、自分の中にあった知識や興味が8割くらい。で、それを補うために調べ物をする(残りの2割を埋めるため)。こんな感覚です。一本書くのに本をどのくらい読むかというと、主に図書館からは借りて返してを繰り返しながら合わせて30冊程度でしょうか。さらに本を買うこともありますが、お金ないんでなるべく図書館。ただ、「今」を調べたいときはお金なくても本屋で探します。あるいは最近はネットも利用します。
本当はもっと本読まなきゃいかんのでしょうが、私はこのくらい。井上ひさし氏は一本台本書くのに「その事象に関わる全ての本を読んでいる」とも噂されていますので、御大に比べれば私なんて1000倍甘いです。

さて、もう一つの「刺激する」というのはね。
この歳になると、全体的に活力がなくなってくるんですよ。
そうすると、資料探しでなくても読むのです。
「あー、○○さんはこんなにいいもの書いてるんだ。俺も頑張んなきゃ」
「世の中はこんなことになっている。微力ではあるが、俺も何とか」
「感動した。こころ洗われた。素直に原稿に向かえそうだ」
など、
「本を書く」という行為に対してモチベーションをあげる一つの方法として使います。

と、本について書きましたが
資料としても、刺激としても
本読む以外に
映画観たり、舞台観たり、ダンス観たり、アート観たり、体験したり、音楽聴いたり、旅に出たり、呑んだり、食べたり・・・・
しています。

表現というのは自分の生活によって蓄えられた体験や思考が基になっているのだと思う。
だから、普段いかに生活し、何を志向しているか、が問われてくるのだと思う。
というと恥ずかしながら、自分は大した生活をしているようには思えない。
でも、その大したことない生活が自分のベースになっているので、
それをベースに表現活動をするしかない。

それによって、自分の表現方法が「身近」に体感しやすいものになっているのであれば
この質素な生活もまた、幸いである。  


Posted by 伽藍座長 at 23:31Comments(0)演劇

2008年08月26日

コミュニケーション

昨日、久しぶりな友人と食事をした。
最近、学生相手にいろいろやってる、なんて話をした。
相手も、似たようなことやってるんで、話は盛り上がった。
で、「コミュニケーション」の話になった。

「コミュニケーション力」って言われて、何を想像します?
演劇やってると
「自分の意見を伝える」や「自己表現」ってところに行きがちだったり、求められがちだったりします。
でも、私はそれらよりも
「相手を聴く(見る)」ことの方が重要なんじゃないか、と思ってる。

そんな話をしたら友人は
「あぁ、それで佐藤さんの芝居は・・・」
と、妙に納得された。

だって、自分を見せることも必要だけど、そこに重点持って行くと
「声のでかい奴が勝ち」
っていう世界になってくると思うんだよね。
でもコミュニケーションって双方向性が必要でしょ。
そうなると、やっぱり相手を聴くことが大事かな、と。
「分かり合おうとすることこそコミュニケーション」

といいながら私は
「人間はお互いにわかり合うことなんてできない」
とも思っている。

「だから『わかり合おう』なんて無意味だ」
と言いたい訳じゃない。

「わかり合えないから、わかり合おうとすることに意味がある」んじゃないだろか。
と思うのだ。

多分、これって自分のテーマでもあるんだと思う。
宿題かな・・・  


Posted by 伽藍座長 at 17:25Comments(0)演劇

2008年08月22日

磐田の記録―3

そんなこんなで最終日。
前日の通し練習のダメ出しから。
といってもそれまで練習時間もなかったし、今から本番までの練習時間もないし。
なので、ポイント絞って。
と、ここで緊急事態が・・・
一人足りんぞ? 電話してみると、体調不良で今日はお休みだという。
さて、どうする。
と、その時引退したての三年生が受験勉強の合間に様子を見に来ていた。
「午後も空いてる?」と聞くと「え?空けられますけど・・・」
ということで急遽代役。
一生懸命やってると、こういう神の見えざる手が働くものですよねぇ。
その後各班でダメ出しのポイントを中心に練習。代役の先輩には台本片手に立ち稽古(もちろん4時間後の本番までにせりふ覚えてもらいます)。照明・音響担当でない先生には小道具作り(ティッシュでお花作り)をお願い。「なるべくたくさん」と注文をつけて。
そして11時からリハーサル。
ダメだししてお昼休み。

昼休み明け。体動かしたり、声を出したりのウォーミングアップを。朝バタバタしてたんで充分に出来なかったんですよ。
13時からもう一度リハーサル。
軽くアドバイスして客いれ。
そして、14時本番開始。

大きなミスもなく終了。
コメディータッチの芝居と思っていたら、最後にはやさしく戦没者の霊を供養してしまう。(先生の作ってくれた花を撒き散らす)
さすが、先輩もセリフ入れて、それどころか舞台上の一年生役者たちを引っ張ってってくれました。
ブルーシートを使った波は観客度肝を抜かれたようです。

さて、舞台は無事終了しましたが、実はこの後、中学生を含めたワークショップをやる予定でいました。
残念ながら参加者は少なく小学生にも声かけて三名参加。でも、三名ともとても楽しく体験できたようです。
片付け終わった高校生とともに、いろんなことやりました。鬼ごっこから、息のキャッチボールやら、みんなでオブジェ作ったり、もちろん、参加者にはブルーシートの海で泳いでもらいました。最後にちょっと時間あったのでリクエスト募ったら例の「バナナ・やきそば」が。高校生も公演終わったので、伸び伸び楽しんでました。
一時間半で、かなりいろんな事できて楽しめました。このくらいのメニューを持っていろんなところに行きたいですね。考えようっと。

片付けもあるので退館一時間前に終了。お疲れ様でした。
と、ここで新聞社が取材に登場。「あれ?終わっちゃいました?」
多分、やってる途中では邪魔になる、と思って終了間際に来たのでしょうが、当てが外れてしまいましたね。

ということで、写真も撮ってもらおうと、オブジェ作りと波をやりました。
そして記者さんにも本番での「打ち寄せる波」を体験してもらおうと、波組のパフォーマンス。
本番中、舞台袖にいた役者たちも観客席に集まって、みんなで波体験。歓声。

終了後、秋公演の練習に顔を出すことを約束し、解散。
先生たちと食事に。
私をはじめ、みんな車だったので、「呑みたい・・・」と言いながらウーロン茶で乾杯。
先生たちも興奮気味で「濃密な三日間」を語り合いました。

また、行こう。  


Posted by 伽藍座長 at 18:19Comments(0)演劇

2008年08月21日

笑う?

先日、久しぶりにぼんやりとTVでお笑い番組を見てた。エンタの神様とかだったかしら。
全然笑えなかった。
その時の私が世界に絶望していたわけでもないのに。
しかし、会場の観客はよく笑っていた。
そこで思った。
「やっぱり、こういうものは生で見なきゃいけないんだな!」


が、今、ふと思ったんだ
やっぱり会場にいても私はほとんど笑わなかったんだろうな
と。
世界に絶望してなくても
やっぱり面白くないものは生で見ても面白くないんだろうな
と。


それよりも
世界に絶望してる人に
それでも笑いを取れる

いや、大笑いさせるってことじゃなく
無表情な顔に変化が出るくらいでもいいんだ

そんなことをするには
どうしたらいいんだろうか。

少なくとも
自分しか大事じゃなく
他人を蔑んだ態度や
ご機嫌取りで
舞台に立っちゃいけないんだろうな
とは思うんだけどね。  


Posted by 伽藍座長 at 00:33Comments(0)演劇

2008年08月20日

磐田の記録-2

二日目。
朝、先生に原稿を渡す。先生は人数分印刷しに学校へ。
その間、体動かしたり、みんなで息を回したり(前回言ってた息を出すメニューですわ)。
人間関係がわかる立ち位置ゲーム、みたいなのもやりました。これは結構みんな楽しかったらしく、最終日にもリクエストがあった。ゲームの名前は付けてなかったんですが、何となく「バナナやきそば」ってな名前になっていきました。これは「舞台上の立ち位置は人間関係がわかりやすいと、こんだけ面白いんだよ」ってなことをみんなで楽しめるんですね。
それから、「海」をテーマにすることは事前に決めていたので、先生に「大きなブルーシートがあったら持ってきてください」と頼んでありました。これを舞台で使うために、いろいろ試してみる。ブルーシートは9m×5.5mくらいでしょうか(5間×3間)、かなり大きかった。みんなで波を作ったり。作った波の中をみんなで泳いだり。これも楽しかったらしく、大いに盛り上がりました。
で、いろいろ試してみながら、実際に舞台での使い方を決め、「恋愛コメディー」班に波役をふる。

さて、台本が印刷されてきたので、読み合わせ。
30分くらいになりそう。早速立ち稽古に入りました。一時間くらい。で、午前は終了。お昼ごはん。

さて、お昼ご飯ですが、生徒はお弁当持ってきてるんですが、先生たちと私は施設内の食堂へ。といって、ベトナム料理屋が一軒入ってるだけなので、三日間ベトナム料理でした。ココナツカレーは辛くないよ。

午後は一応講義的なこともやりました。「立ち稽古」「演出」「役作り」なんかの話。
で、実際に稽古を重ねていきます。それと波練習。
4時から全体を通しますよ、ということで、やってみたら、ちょうど10分ずつ3話で30分でした。

さて、午後の練習の時に、照明担当の先生が簡単な照明を仕込む予定でしたが、思った以上に台本がちゃんと出来ちゃったので、先生、急遽夜の部も会場を借りてしっかり仕込む気満々になってます。

というわけで、4時半に終了後、先生たちで照明の仕込み、音響担当の先生はパソコン持ち込んでて、音を探したり、編集したり。
実はこの日は三万発上がるという「袋井花火」の日。生徒の中にはしっかり浴衣を持ってきていた子も。終了後に更衣室では着付けの出来る生徒による着付け教室が開かれていたようで帰りには浴衣着て直行する女生徒たちが。
そして先生たちで残って仕込みをしてる間、遠くで花火の音が。隣町のホールの中まで聞こえるって、何て盛大な花火大会だ・・・

閉館の21時までしっかりきっかけ合わせまでやりました。音も大方決めて。
台本朝配ったばかりなのに、もうここまで凝った事やってしまうなんて。先生たち、すごいですよ。あ、音響担当の先生はこの後、足りない音探しをいったそうです。お疲れ様です。
つづく。  


Posted by 伽藍座長 at 00:26Comments(0)演劇

2008年08月16日

磐田の記録-1

先週の磐田の記録を書いておこう。

まず、初日の金曜日。
磐田東・南・西高校の演劇部が22名集まりました。この時期三年生は引退して受験勉強などにいそしんでいます。
二年生は3月に一緒に舞台を創ったのでみんな知り合いです。一年生は初めて顔あわせるので、早くコミュニケーションとらないと。こういうとき私は「先生」という立場をとらなようにします。初めての人にも安心してもらうため、自分が開く(体も心も)状態で接するようにしています(こういうとき「最近役者もやっててよかったな」と思います)。でも、今回は二年生が顔見知りだったので他の現場より早く馴染めた気がする。

さて、今回は三日目の昼にはお客さんを入れて上演する、と決めてたのでサクサクメニューをこなすべきかもしれませんが、いやいや、みんなで一つのものを創るってことをやるには、先を急ぐより全体の空気を作らないと。それが出来れば後は意外とスムーズ。
まず午前中は、体動かしたり、息を出したり。いろんな考えあると思いますが最近富みに「息を出す」ことの重要性を感じます。なので、定番な「発声練習」みたいなことをやるより、「息を出す」メニューをやたらやりました。一年生は総じて息が弱かった。二年生も強くはないけど、さすがにやってるだけはある、という感じです。(最後にとったアンケートで「何が一番参考になったか?」という問いに「いろんな発声方法」というのが多かったです。声を出すメニューはあまりやらなかったのに、こういう返事が来るということはみんな「息を出す」ことが「声を出す」ことに繋がるんだよ、ってことをわかってくれたってことかな?と)

さあ、「講義」みたいなこともしながら進めていきますよ。ということで、まずは「脚本分析」。
これは、脚本読むときにどこをポイントにするか、ということですが、書き出すと長くなるので簡単に言うと「プロット」と「人物配置」といったところをポイントにやりました。
と、これを踏まえてみんなで脚本を作ってみましょう。
22人を学校が偏らないように3班に分けて、それぞれ「7~8分の芝居を作るように」と。
こちらからは「海」というお題だけ出して、さあ、創ってくれ。

ちょっと乱暴にも聞こえますが、それぞれ話し合いながら創っていけるもんですね。午前中の最後にそれぞれ、どんな話になりそうか?発表しあう。「恋愛コメディー」「怪談話」「自殺志願者の話」と三つ別々の色合いで出てきたので、これで行ってみよう、ということで、お昼休み。

午後は脚本作りの続き。創ったプロットに乗っかって即興などしながらセリフを創っていく。
合間に時々みんなで体動かしたり(「スローモーションで動く」「背中合わせで立ってみる」など)しながら。
ここらで、それぞれの班の人間関係が出来上がっていきます。
誰が話を進めていくか?アイデアは誰を中心に出ているか?面倒見のいい上級生は誰?などなど
それらを見ながら、時に口を出し、時にほったらかし、しながら様子を伺います。

最後に出来上がった脚本を提出。
それぞれに問題点を挙げながら、今日はこれで終了。・・・生徒たちは、ね。

さて、この後は私の仕事です。
提出された脚本をホテルに持って帰って、ワープロに打ち直し。それぞれの本の問題点を修正。で、三つの話の並べ方、リンクできるのか?などの検討をしながら。・・・詰まるとオリンピックの開会式を見ながら、また・・・
最終的に「恋愛コメディー」を最初に持ってきてお客さんが入りやすくする。「怪談話」と「自殺志願者の話」を少しリンクさせる。そして、「恋愛コメディー」のグループにはこのリンクの表現方法として「波」になってもらうという構想にまとまり、朝の4時頃脚本完成しました。我ながらうまくまとまったので、テンション高くなったし、読み返したりもしてたので寝たのは5時過ぎでしたが。
まあ、2~3時間寝れれば大丈夫でしょう。

ということで、私には長い一日目が(日をまたぎましたが)終わりました。

つづく。  


Posted by 伽藍座長 at 19:01Comments(0)演劇

2008年05月19日

全身を使う 続き

稽古で中断したので、続きを。

例えば、「重いものを持つ」という行為はぎっくり腰の危険を伴います。私は今のところ経験は無いので、このまま未経験で終わりたいと思い気をつけています。
私の感覚としては、まず「重いものをへそに乗せる(引き寄せる)」次に「膝を伸ばして立ち上がる」。ようにしています。
腰のみで持ち上げようとすると、腰に全ての負担が行きがちですが、へそに乗せて膝を伸ばすと、負担が脚や手や背中に分散されるように感じます。

また年末年始、NAS'Hでウエイターのバイトしてたんですが、その時の研究課題は「立ち方」。
基本的に長時間の立ち仕事、しかもバランスよく移動しなければならない。なので楽な立ち方、ぶれない移動方法を自分の体で試しました。
まず、「楽な立ち方」。
学校で習う「休め」の形をとってしまうのですが、これは軸足が疲れます。疲れたら足を変えればいいんですが、結局そっちの足も疲れます。年末年始の実感では、「実は両足に同じように体重を乗せるのが、もっとも疲れない」という結論に至っております。つまり、まっすぐに立つ。
両足交互に疲れる「休め」の形は重さがみんな足に来るような気がします。しかし、まっすぐに立つと、重さが両足に分割されることもありますが、さらに重さの半分くらいが背骨などの体幹にも分散されるように感じます。
あと、「ぶれない移動方法」は、
簡単に言うと「膝を軽くゆるめて歩く」でした。重心が少し下がり安定するのと、膝がサスペンションの役目をするので、移動に伴う上下動を膝で吸収してくれる。お盆の上の飲み物を波立たせずに運べるようになりました。

こういう体の使い方をしてみると、部分的に痛くなることが避けられると思います。
代わりに全身に疲れが分散しますが、それらは全身軽くほぐせば、元通りになります。
一箇所に激しい疲れを貯めるより、元に戻しやすいと実感しています。

と、書いてきましたが、私の実験結果はあくまで私の実感の元に書いてますし、私は何の資格も肩書きもありませんから、全ての人に効果があるかわかりません。
でも、意識的に自分の体に向き合うということは必要だろう、と特に年月重ねると思います。
皆さんもいろいろ試してみては。  


Posted by 伽藍座長 at 23:11Comments(0)演劇

2008年05月19日

全身を使う

週末、いろいろと作業をしてました。
この歳になると、力仕事をバリバリ、というわけにはいきません。
しかし、最近体の使い方を研究しているので、うまく体を使ってみたところ、疲れや筋肉痛が局所にあらわれることはありませんでした。
体の使い方?
まだ、研究中ですが、心がけてるのは「全身を使うこと」。
作業の過重の負担を全身に分散させる、という感覚。
  


Posted by 伽藍座長 at 19:09Comments(0)演劇

2007年09月21日

狭い会場での公演

明日、本番です。

今回もそうなんですが、私は狭い会場での芝居が好きです。
昔は大きな会場を押さえるお金がなかったり、人手が無いので、などの理由で狭い、普段劇場にしてないようなスペースで芝居やってましたが、最近はあえて「狭い会場」で公演をしたいのです。

今回の公演、新しい分野の人を舞台に上げたこともあり、こういう狭い会場での演劇公演というのを初めて体験する人が何人もいました。アンケートでその反応を見ると
「役者が近くてびっくりした」
「役者の息づかいがわかる」
「臨場感がある」
など、「初体験」と呼ぶにふさわしいインパクトを与えられたと思います。

「役者の息づかい」は三百人くらいの会場でも、ちゃんとした演劇向きの劇場ですと伝わってきます。この芝居を昔上演した東京の「三百人劇場」(その名のとおり300席)などそうでした。そういう風に創ってるんですね、本来「劇場」というのは。しかし、そんな劇場でも、劇場全体に伝えようとすると、それなりの技量が要ります。素人にはできません。だから役者は基礎訓練をするのです。

稽古場で公演をする時など、狭いですから特に「役者の息づかい」がわかります。多少技量が足りなくても、というのはありがたいことなのですが。でも、技量が足りなくても、うまく演技できてないと伝わらない、というか、それって「伝わるものが無い」わけですから、伝わらないです。
逆言えば、「伝えるものがあれば、伝わる」空間です。だから「技量」が多少足りなくてもこの「伝えるもの」「気持ち」を役者には重視してもらってます。
特に私が創る芝居は「間」が重要になってきます。勢いで押しまくれない芝居です。引かないといけないのです。その「引いた時」に、「ぽっ」できる「間」を楽しみたい、と思ったらその「間」という目に見えない「空気」を感じてもらわなければいけないのです。
この「空気」を感じられる「空間」には限界がある。

あ、そうそう。役者の技量もそうですが、観客の息づかいも狭い会場だとわかります。
そして、役者の息づかいと観客の息づかいがシンクロした濃密な空間で行われる舞台、というのが成立する瞬間があるのです。瞬間というかもっと長い時間であったりします。
それを体験してしまうと、また芝居を続けていきたくなるんですね。

そんな体験をしてみたい方。
明日、来ます?
明日絶対そんな空間が出来る、とは保証できませんが。こればっかりは時の運もあります。

でも、私はそれが成立する時間を創ろうとして、舞台を創り続けています。  


Posted by 伽藍座長 at 23:20Comments(0)演劇

2007年09月14日

せりふ

劇団の稽古日誌にも書かれたのですが、
私は稽古で
「セリフは入れるんじゃなくて、入るものだ」
と言います。
いろんな芝居の創り方があるので、一概には言えませんので、こっから先は私の個人的意見です。

役者が早めにセリフを覚えてくれるのはありがたいんですが、時々「セリフの字面だけ暗記してくる」役者がいて、苦労することが多いのです。
役者の落とし穴でしょうか。
セリフが入ったら、もうその役を把握した気分になってしまうのか。「字面を暗記してきた」だけの役者は中々先へ進めません。自覚がないから余計厄介です。そんな時演出している私のところには「暗記してきてしまった字面の呪縛から役者を解き放つ」という面倒な作業工程が一つ入ります。
だったら無理に、テストの一夜漬けのようにセリフ覚えてくるんじゃなくて、稽古を重ねるうちに覚えていく方が、うんと中身のつまったいいセリフが言える、と思っています。

先日うちの役者が稽古前に英語の歌を覚えようとしていました。
英語の歌詞を目の前にして何回かトライしてましたが、意味が良くわからなくて辞書で意味を確認しながら訳しはじめました。で、ワンコーラス訳したら、既に歌詞を覚えていました。
こんな経験ありますよね。

「英単語の意味がわかったら、歌詞を覚えていた」
と同じように
「セリフの意味がわかったら、セリフを覚えていた」
ってことです。
だから、稽古では「セリフを覚える」ことに重点を置く必要はなく
「そのセリフが出てくるシチュエーション、心理、誰に言ってるかの方向、などを体感する」
ことに重点を置いています。
本当の意味で「セリフ覚えの早い役者」っていうのは上記のポイントを短期間で把握できる役者のことなのだと思います。

逆に「覚えにくいセリフ」があるとしたら
役の人物がそこに至る「シチュエーション」がうまく出来ていない、と思って稽古します。
あるいはそれが「自分が作者として書いたセリフ」だとしたら、もう一度自分の筆力を検証することもします。場合によっては言い易い(つまり覚え易い)セリフに書き換えます。
それでも覚えられない時に初めて
「お前、そろそろセリフ覚えるよ」
って言います。

お客さんに「よくセリフ覚えられるね」と言われることがありますが
正しい手順を踏めばセリフは「入る」ものだ、と私は思ってます。
  


Posted by 伽藍座長 at 00:31Comments(0)演劇

2007年09月10日

本を書く

先日(夏休み)、高校生に「台本について」の講習をしてきました。
その時に
「どんな時に台本のアイデアは生まれますか?」
という質問を受けました。
「自転車乗ってる時とかによくポッと浮かびます」と即答しましたが、もっとみんなのヒントになる話をしなきゃなあ、と思ってもう少し話しました。話をしている間に自分で「ああ、そうだよねえ」と我ながら感心した話。まとめてみると

ある舞台(映画でもTVでも小説でもいい)を観て、感動して「こういう舞台がやりたい」と思ってもそこで本を書き始めると、どうしても今観たものの二番煎じになっているような気がしてしまう。だからその時は無理に本は書こうとしない。でも、それに共感した自分がいる、ということを認識することはとても大事なこと。そのように感動する舞台(などの表現活動)に触れることは自分にとって大事なこと。どんどんインプットしていって「自分の価値観を豊かにしていく」時だと思うようにしている。

で、ある時、ある舞台(映画でもTVでも小説でもいい)を観て、「いや、それは違うだろう」と思ったときが、「自分の本を書くとき」だと思ったのだよ。「違う」と思った事象を自分の価値観で書いていく時、「自分の作品」が出来るのだと思う。
これはどんな表現活動でも同じじゃないのかなあ。でも、音楽や絵ってちょっと違う気もする。あれらは「感動した表現方法」を使って「自分の作品」を作ることが出来る気がする。
本は「書く」という一つの表現方法しかない(極端な言い方ですが)。

どちらにしろ、「自分の価値観」をちゃんと持てるか、が大事。
そしてそれを育てるために「いいものにたくさん触れる」
その過程で「違う価値観」に出会った時、
「自分の本が書ける」

という話を高校生にしながら、自分を再確認しました。

一人芝居の台本なんて特にニュースを見ながら「それは違うだろ」と突っ込みながら書いた作品が多いから、自然と「社会批判」的なものが多くなってしまうのだね。  


Posted by 伽藍座長 at 22:55Comments(0)演劇

2007年06月05日

伽藍博物堂本公演

そんなわけで、劇団の公演情報です。

タイトル:「たまくら」
日時:6月17日(日)14時~&18時~、19日(火)20時~、23日(土)15時~&20時~、24日(日)14時~&18時~。
会場:伽藍博物堂演劇実験室(静岡市葵区鷹匠3-23-1日吉マンション1階)
チケット:前売1500円、当日1800円、高校生以下800円。

と、まあこんな風になっています。
前売チケット手に入らないけど見に行きたい、という方はmailで予約してもらえれば、当日受付精算1500円でチケット用意しますよ。
予約先:garan-s@fa2.so-net.ne.jp

お話の内容は妊娠中の若い奥さんが卵を産んでしまった、という話です。SFですね。で、そのことによって戸惑う人々の様子が描かれてて、笑いどころ満載(?)になっております。
私は作・演出ってことで出演はしませんが、お時間ありましたら観にきてください。  


Posted by 伽藍座長 at 01:28Comments(0)演劇

2007年04月11日

続「HEART」

「イメージを具体化する」
これは舞台をやる人間として避けて通れない作業。

さて、「HEART」の続編です。
イメージを具体化するため、まず例のアート作品の手触りを確認することに。
某喫茶店で中っくらいの作品を手に、成美さんとお話。
「やっぱり心臓に火がつくなら、それは恋心だよね」

そして実際に自分がどこまで動けるのか?の検証。
手足はどの範囲まで届くか?各々の関節はどこまで可動するか?どこまでオフバランスになれるか?
以上を把握しつつ、動きを決めていく。

実際のアート作品とは前日に対面。
それらに灯を入れ、音楽と合わせたのは本番のみ。
(あ、なんかすごいはしょったね)

本番の会場はお客さんの集中した息づかいが感じられ、自分も自然と集中力が上がっていく。これが生ならではの良さだよ。決めていた動きがアート作品と絡む間に徐々に変化していくのもわかった。これも貴重な体験だ。
音楽に身をゆだね、アート作品との接触を楽しむ。
それがお客にも伝わった(後で皆さんの話を聞くと、伝わったと思うよ)。

「演劇は総合芸術だ」という言葉がある。私はこの言葉「音楽、美術、ダンスなどの単科芸術より、総合芸術たる演劇は一段高いところにあるんだ」と言ってるようで、あまり好きな言葉ではありません。

「HEART」やって思ったのは
「音楽は単体で成り立つ」「アート作品も単体で成り立つ」(単体で成り立ってたものを持ってきてるんだから当然か)。でも自分の動きのみ単体で取り出すと、何やってるんだか全然わかんないのよね。でも自分の動きが、単体で成立していた音楽とアート作品を繋いで、さらに一つの作品を生み出せたとしたら、これは表現者冥利(そんな言葉あるのか?)につきる。
終演後、大靖からも成美さんからも「ありがとう」と言われた。こちらこそありがとうなんだけど。自分の作品の可能性を見せられたことがうれしかったようでした。

あ、「HEART」の中に「ART」が入ってるんだよね。
  


Posted by 伽藍座長 at 00:12Comments(0)演劇

2007年04月10日

「HEART」のこと

今回の一人芝居の旅では8作品ほど上演しました。
その中でもお客さんの心を最も動かしたらしい(涙ぐむお客さんがいた)異質の作品「HEART」について話しましょうか。

一人芝居をやろうと思ったときに、「ちょっと変わったパフォーマンス」ができたらな、という思いはあったのですが、すでにやろうと決めた作品群と格闘しているうちに「そんな暇ないな」と一旦脇に寄せました。
ところがツアーが始まって刺激を受けると、やりたい気持ちが持ち上がってきて。

まず、「アート作品とからみたい」と思ったのです。
その時思い浮かんでいたのは、知り合い佐野成美の「心臓」という作品でした。この作品に初めて会ったのは昨年秋、大須賀町の神社の境内の木の洞に小さく、しかし燃え上がるように鎮座した姿でした。
早速成美さんに話をふると、面白がって協力してくれることになりました。

さて、「アート作品とからみたい」と言いながら、「からみかた」をいろいろとイメージしていく中で、「台詞より音楽が欲しい」と思い出しました。「音楽」それも「歌詞のあるもの」がいいような気がして、手元の楽曲を聴き比べているうちに、涼木大靖の「できそこない」という歌にあたりました。「これを初めて生で聴いた時は泣けたなあ」なんてことを思い出しながら、早速大靖に「曲を使いたい」と話すと、がんがん使って、という返事でした。そこでさらに聴き込んでもう一曲「ウイルス」を選び、この二曲を裏表にイメージを膨らませていったのです。

二曲入りテープを車でヘビーローテーション。この時期磐田に通ってたので、行き帰りで3時間、10日ほどの間に100回以上聴き込んだことになりますねえ。

しかしそれらも所詮イメージの世界。舞台に乗せるにはそれらのイメージを具体化しなければいけない。
そんな作業の話は次回へ。  


Posted by 伽藍座長 at 00:05Comments(0)演劇