2008年05月16日
1999年-その弐
資料、来ねぇなあ・・・
待ってても仕方なさそうなので、消え行く記憶の中から探っていこう。
1999年の続き。
続きだけど、この年の後半は9月に一人芝居やっただけみたいな気がする。記憶が・・・
「KEEPER」というゴールキーパーの話。
この芝居をやるために、浜松のサッカーチームの練習に参加させてもらったり、一人稽古場でサッカーボールと格闘してました。
特に横っ飛びの練習が響いたらしく、肋骨を痛めました。ドクターストップで三週間くらい運動禁止。解禁になって二週間くらいで本番でした。せっかく付いた筋肉が落ちてからの本番。よくやったなあ。
場所もサールナートホールだったので、思いっきり横っ飛びできますし。終わってから一週間は、まともに体動かせなかったです。自転車こぐだけで足つったり。
最近一人芝居やってるけど、この作品は再演できるのかなぁ・・・
そういえば、この一人芝居。もともとはSPACの野外舞台公演の公募に出した企画なんですね。
当時、「せっかく作った野外劇場なのに、使ってないじゃないか」などという批判もあり、SPAC以外の県内団体にも使わせよう、ということで始まった企画でした。
書類審査で落ちました。何で?って聞いたら
「一人しか舞台に出ないから」って。
たくさんの県民に使ってもらおう、ということと、たくさん出演すればお客もたくさん来るし、ということなわけです。
企画内容とか、舞台の質とかで落とされたわけでもなく、何とも納得はいかなかったのですが、せっかく台本も出来てきたのでやれる会場を探しました。
まず、当時、静岡の演劇に理解のあったサールナートホールへ話持って行ったら
「是非に」ということで探すまでも無くあっさり決まりました。
「サールナートホール」・・・いい劇場だったなぁ。
後日談。
その後、SPACの企画は行き詰ったのか、一度断った私のところに出演のお願いが来ました。
「出演者一人ですけど」と言っても「出てください」
「サールナートでやるし」と言っても「だったらついでにうちにも出てください」
「でも、そうするとお客が割れてそんなに呼べないかもよ」と言っても「いいですよ」
って。
結局
「ちゃんと私の企画を応援してくれると言ってくれてる、理解あるホールでの公演を優先したいので」
といやみったらしく丁重にお断りしました。
あ、でも、今のSPACとは仲良くやっていけそうだからね。
それはまた書くけど。そういうことだから、よろしく。
(SPACとは、静岡県舞台芸術センター」のことです)
待ってても仕方なさそうなので、消え行く記憶の中から探っていこう。
1999年の続き。
続きだけど、この年の後半は9月に一人芝居やっただけみたいな気がする。記憶が・・・
「KEEPER」というゴールキーパーの話。
この芝居をやるために、浜松のサッカーチームの練習に参加させてもらったり、一人稽古場でサッカーボールと格闘してました。
特に横っ飛びの練習が響いたらしく、肋骨を痛めました。ドクターストップで三週間くらい運動禁止。解禁になって二週間くらいで本番でした。せっかく付いた筋肉が落ちてからの本番。よくやったなあ。
場所もサールナートホールだったので、思いっきり横っ飛びできますし。終わってから一週間は、まともに体動かせなかったです。自転車こぐだけで足つったり。
最近一人芝居やってるけど、この作品は再演できるのかなぁ・・・
そういえば、この一人芝居。もともとはSPACの野外舞台公演の公募に出した企画なんですね。
当時、「せっかく作った野外劇場なのに、使ってないじゃないか」などという批判もあり、SPAC以外の県内団体にも使わせよう、ということで始まった企画でした。
書類審査で落ちました。何で?って聞いたら
「一人しか舞台に出ないから」って。
たくさんの県民に使ってもらおう、ということと、たくさん出演すればお客もたくさん来るし、ということなわけです。
企画内容とか、舞台の質とかで落とされたわけでもなく、何とも納得はいかなかったのですが、せっかく台本も出来てきたのでやれる会場を探しました。
まず、当時、静岡の演劇に理解のあったサールナートホールへ話持って行ったら
「是非に」ということで探すまでも無くあっさり決まりました。
「サールナートホール」・・・いい劇場だったなぁ。
後日談。
その後、SPACの企画は行き詰ったのか、一度断った私のところに出演のお願いが来ました。
「出演者一人ですけど」と言っても「出てください」
「サールナートでやるし」と言っても「だったらついでにうちにも出てください」
「でも、そうするとお客が割れてそんなに呼べないかもよ」と言っても「いいですよ」
って。
結局
「ちゃんと私の企画を応援してくれると言ってくれてる、理解あるホールでの公演を優先したいので」
といやみったらしく丁重にお断りしました。
あ、でも、今のSPACとは仲良くやっていけそうだからね。
それはまた書くけど。そういうことだから、よろしく。
(SPACとは、静岡県舞台芸術センター」のことです)
2008年04月27日
1999年―その壱
返事が来てるから、資料は近日中に来るとして、記憶を頼りに続けてみよう。
と、2年目となる1999年は、稽古場公演は6月に「ROOM JUNCTION」という芝居をやっただけみたい。
しかし、3月に「演劇カタログ」をやってますね。
「演劇カタログ」というのは、「静岡のいろいろな演劇をカタログをめくるように一箇所で観られる企画」として立ち上げたものです。サールナートホールでやりました。二日間で10劇団が1時間弱の作品を連続上演しました。伽藍は前の年に上演した「そらとぶかもめ」を上演しました。
今は貸し出しをしていませんが、当時「サールナートホール」は静岡演劇界の「本多劇場」でした。(ということになると、「伽藍博物堂演劇実験室」は静岡演劇界の「スズナリ」となるのですが。)サールナートの協力があって、こういう企画が出来るんです。だから、ここが貸し出しをしなくなってから、この企画は途絶えたままになってます。
そうそう、当時は「メディアホール」というのもありました。サールナートが200席弱、メディアが350席くらい、と演劇やるにはいいホールでしたが、どちらも持ち主の経営方針から現在貸し出しをしていません。あのころはそれらのホールの舞台に立つことを目標に多くの劇団の活動が活発だったと思います。
寂しいものです。
なんか愚痴っぽくなりましたが、今日はこの辺で。
と、2年目となる1999年は、稽古場公演は6月に「ROOM JUNCTION」という芝居をやっただけみたい。
しかし、3月に「演劇カタログ」をやってますね。
「演劇カタログ」というのは、「静岡のいろいろな演劇をカタログをめくるように一箇所で観られる企画」として立ち上げたものです。サールナートホールでやりました。二日間で10劇団が1時間弱の作品を連続上演しました。伽藍は前の年に上演した「そらとぶかもめ」を上演しました。
今は貸し出しをしていませんが、当時「サールナートホール」は静岡演劇界の「本多劇場」でした。(ということになると、「伽藍博物堂演劇実験室」は静岡演劇界の「スズナリ」となるのですが。)サールナートの協力があって、こういう企画が出来るんです。だから、ここが貸し出しをしなくなってから、この企画は途絶えたままになってます。
そうそう、当時は「メディアホール」というのもありました。サールナートが200席弱、メディアが350席くらい、と演劇やるにはいいホールでしたが、どちらも持ち主の経営方針から現在貸し出しをしていません。あのころはそれらのホールの舞台に立つことを目標に多くの劇団の活動が活発だったと思います。
寂しいものです。
なんか愚痴っぽくなりましたが、今日はこの辺で。
2008年04月26日
2008年04月25日
この10年のあゆみ―1998
では、振り返ってみましょう。自分たちの記録のためにも。
まずは1998年。
この4月に稽古場を借りたわけですが、当時「サールナートホール」で「痛快ねずみ小僧伝説」という舞台をやることが決まっていたので、その稽古に使っていました。
この稽古場での公演は、確か、この年の5月末か6月だったような。伽藍名義の公演ではなかった。橋本三十郎という昔から一緒にやっていた女優と当時らせん劇場に所属していた(よね?)香具兆こたつ、という女優二人芝居でした。「なまず」というタイトル。結構面白かった。見た人は絶対覚えてるはず。まだ、設備らしいものも無く、客席も不十分で、後ろの立ち見の人は舞台が見えず、舞台映像をテレビに映して、街頭テレビを見るような形でした。
伽藍名義でやった公演は、この年の秋、10月に「あれから10年も」(今やれよっていうようなタイトルですね)と11月に「そらとぶかもめ」という二作品を続けざまにやりました。今は楽屋部分に組み込まれ見えなくなっている奥の窓をそのまま舞台装置に使いました。舞台上にある「部屋の窓」という設定の窓を開けると、窓の外には本物の焼津信用金庫の壁が見える、という。そんなリアルな公演でした。
ところで、当時二階にあった「催眠研究所」。みなさん気になっていたと思います。でも、誰も訪ねたことはありませんでした。あいさつはしてましたけどね。どうも「催眠」というけれど、カウンセリングをやっていたようです。一度だけ苦情が来たことがあって、いわく「階段周辺に人がいると、うちに来る人が階段を上りにくい。うちに来る人はカウンセリングをうけるだけあって、人見知りが強いので」というような内容。それから、稽古場の利用案内には「階段に座らないこと」という項目をつけました。
また、建物前の電柱に「催眠研究所」の看板が貼ってあったのですがそこに「脳み相談」と書いてあったのはマニアには有名な話でした。しかし、5年ほどたった頃「悩み相談」に書き換えられていました。残念。
残念ついでに、この「催眠研究所」、2年前に移転しました。引越しの時に置いていった(?)靴拭きマットは現在も階段前に置きいっぱなしです。
まずは1998年。
この4月に稽古場を借りたわけですが、当時「サールナートホール」で「痛快ねずみ小僧伝説」という舞台をやることが決まっていたので、その稽古に使っていました。
この稽古場での公演は、確か、この年の5月末か6月だったような。伽藍名義の公演ではなかった。橋本三十郎という昔から一緒にやっていた女優と当時らせん劇場に所属していた(よね?)香具兆こたつ、という女優二人芝居でした。「なまず」というタイトル。結構面白かった。見た人は絶対覚えてるはず。まだ、設備らしいものも無く、客席も不十分で、後ろの立ち見の人は舞台が見えず、舞台映像をテレビに映して、街頭テレビを見るような形でした。
伽藍名義でやった公演は、この年の秋、10月に「あれから10年も」(今やれよっていうようなタイトルですね)と11月に「そらとぶかもめ」という二作品を続けざまにやりました。今は楽屋部分に組み込まれ見えなくなっている奥の窓をそのまま舞台装置に使いました。舞台上にある「部屋の窓」という設定の窓を開けると、窓の外には本物の焼津信用金庫の壁が見える、という。そんなリアルな公演でした。
ところで、当時二階にあった「催眠研究所」。みなさん気になっていたと思います。でも、誰も訪ねたことはありませんでした。あいさつはしてましたけどね。どうも「催眠」というけれど、カウンセリングをやっていたようです。一度だけ苦情が来たことがあって、いわく「階段周辺に人がいると、うちに来る人が階段を上りにくい。うちに来る人はカウンセリングをうけるだけあって、人見知りが強いので」というような内容。それから、稽古場の利用案内には「階段に座らないこと」という項目をつけました。
また、建物前の電柱に「催眠研究所」の看板が貼ってあったのですがそこに「脳み相談」と書いてあったのはマニアには有名な話でした。しかし、5年ほどたった頃「悩み相談」に書き換えられていました。残念。
残念ついでに、この「催眠研究所」、2年前に移転しました。引越しの時に置いていった(?)靴拭きマットは現在も階段前に置きいっぱなしです。