2009年02月25日

彼女の動機

今、劇団で6月の舞台に向けて稽古している。
再演ものなので既に台本は出来ているのだが、後半を保留にしたまま前半の練習を続けている。
すでにセリフは入っている。
その練習を見ながら、後半の保留部分に思いを馳せる。

ネタバレになるので詳しくは書けませんが、
お話は
「女が強盗まがいのことをする」
ということから事件が始まるのです。

そこで考えるのは
「なぜ彼女はそんな行動に出たのか?」

後半を読むとその原因、動機が明らかになってくるわけですが
稽古を見ながら
「本当に彼女の動機はそれだけなんだろうか?」
と問い続ける自分がいます。
だから保留になっている。

台本に書かれた(自分が書いた)動機を固めていく、という方法もありますが
なぜか、その動機に疑問を持ち始めた自分。

刑事ドラマで
事件の報告書が上がった辺り
上司が「これでこの事件も解決だな」と言った後
「いえ、僕にはそれだけじゃないような気がするんです」
と言う主人公。
上司「おまえ、考えすぎだぞ」

そんな場面にいるみたいで
ちょっとワクワクしています。


一体、彼女の動機は何だったのか?

会社でも大して目立たない、ごく普通の派遣社員。
仕事の不安?借金?失恋?
自暴自棄になっているのか?
何か大きな目的のために動いているのか?


あぁ、こんなこと書いてたら、高校生のために書いた本に登場する
女の子の失踪の動機も気になりだしてきた。


ひょっとしたら「動機のない行動」というものもあるのかもしれない。
でも物語を作る以上、自分の中に「動機」はある。
いや
人間の行動には全て動機(目的)があるはずだ。
本人が自覚しているかしていないかの違いはあれ。
だから「自覚していない動機」を探るのが
本を書くものとしての、今の自分の役目なのだと思う。

さあ今晩も、探ってみよう
「彼女の動機」を  


Posted by 伽藍座長 at 23:29Comments(0)日記

2009年02月24日

情報の手に入れ方

終演後のお茶会で出た話。

「知らないと、どこで演劇やってるか、わかんないよね」

今ではインターネットという便利なものがあるので、それでも情報は探せば手に入る。
でも、今まで見つけてないって事は、真剣に探してなかったんだね。
なんて言う人がいた。

まず、劇場がないから。

でも一つでも見つけると、観劇時にもらうパンフレットに挟み込まれているチラシを見て、
「ああ、あるところにはこんなにあるんだね」
という話になる。

鷹匠の稽古場でも、公演のある時は表通りに看板出しますが、そうでないときはわざわざ出しません。
出してると、結構興味を持って見てくれたり、質問してくれたりする人がいます。
そういう人をどれだけ増やすか、どれだけ劇場の中まで入ってもらうか。
ということなのですね。

とりあえず、看板出す機会を増やそう。
というわけで、今週末も公演があります。
http://amarulabo.com
  


Posted by 伽藍座長 at 00:15Comments(0)日記

2009年02月21日

今月の500円劇場終了

来ていただいた方々ありがとうございました。
終演後のお茶会も皆さん残っていただきまして、楽しくお話できました。
通りすがりに初めてやってきた方もいまして
こういう方を捕まえるために、今後も公演回数を増やしていきたいと思います。

終演後にいろんな話をしていますと、自分がどんな風に舞台に向き合っているかを改めて見直すことになります。
また、皆さんがどんなこと感じながら観てるかも、わかったりします。
このブログ見てる方から「中川さんのネタはやらないと思ってた」と言われましたが、うまくはまりそうだったのでやってしまいました。でもこれは3ヶ月後に再演したら「昭ちゃん」じゃあ通じないよね。今やるから「昭ちゃん」って言ったら中川前財務大臣になるんであって。そうやって再演せずに終わっていく作品の多いこと・・・

今後も、500円劇場ではお茶会を続けていこうと思います。

本公演なんかだと、「劇の余韻を楽しみたい」というお客さんもいらっしゃるので、あんまりやらないかもしれませんが。

さて、一つ終わったので、次の企画に向かわなければならないのですが
同時にいくつかの企画を動かし始めてるので、なかなか優先順位をつけるのに苦労します。
その合い間を縫ってお金も稼がなきゃならんし。
  


Posted by 伽藍座長 at 23:44Comments(0)日記

2009年02月17日

500円劇場

今週末、公演があります。

「500円劇場」
日時:2月20日(金)20時~
      21日(土)15時~&20時~
会場:伽藍博物堂演劇実験室(葵区鷹匠3-23-1日吉マンション1階)
チケット:500円
内容:今回は、私の一人芝居を上演します。「山梨空港」「Timersのテーマ」他。中川大臣ネタもやりたいが、本人の映像を越えるほどのインパクトは作れそうにないので断念することになるでしょう。
終演後に「お茶会」と称してのんびりする機会も作りますので、お時間ある方は仕事帰り、買い物途中に、ふらりと寄ってってください。  


Posted by 伽藍座長 at 04:35Comments(0)告知

2009年02月17日

ニュース

中川財務大臣の記者会見の映像が全世界に配信され、TVニュースでも何度も見た。

「あ~、ふぅ~・・・・・・・オンバンマン政権(オバマ政権)の」

の部分で毎回笑ってしまう。  


Posted by 伽藍座長 at 04:30Comments(0)日記

2009年02月17日

書く、ということ

芝居をやっていて
自分で本を書くことが多い
いろんなタイプの本を書く
そのうちのあるタイプについて

今、三月に高校生たちと上演する舞台の台本を書いている。
(まだ書きあがってないのか)
高校生がセリフをしゃべる、と思いながら書いているといつもに比べて
「前向きなセリフ」
が多くなってることに気付く。
普段はあまり書かない
「夢や希望」
を語っていることが多い。

大人になると、「夢や希望」は段々と現実問題と照らし合わせながら縮小していったり、形を変えたり、なくなったりする。
「大人になっても夢や希望を持ち続ける」
ということは大事なことかもしれないが、実はそういう人(全てとはいいません)のお陰で結構迷惑をこうむることも多い。
よくTVドラマで(特に一昔前のフジTV系なんかでよくあった)
「失敗ばかりするけれど、まっすぐな性格で、周りを巻き込みながらも、困難を乗り切る、あるいはいい方向に向かっていく」
という主人公。
もちろん、ドラマだからオーバーなシチュエーションであったりします。解決の方向もかなり都合よく進みます。
でも、実際こういう人がまわりにいたら困る、という人が主人公だったりします。
あるいは頼みもしないのに「悲劇のヒロイン」になりたがる人もいます。

だから大人は夢物語はやめてくれ。

そう言いたいんじゃないんだよな。ここまで書いといてなんだけど。
大人は現実問題がわかった上で「夢や希望」を持って欲しいのだよ。
そういう大人を見てないと
子供は本当の意味で「夢と希望」を持てなくなると思うのだよ。

だから今書いてるセリフも
ただ甘い言葉としての「夢や希望」にしたくなくて
ちゃんと苦味も含んだ「夢と希望」にしたい。

と思ってると、何度も書き直してしまう。
あ、結局完成が遅れてる言い訳をしているのかもしれない。

未来のある方々、
言い訳ばかりする大人にはならないようにね。  


Posted by 伽藍座長 at 04:27Comments(0)日記

2009年02月10日

作者、西部をゆく

週末、浜北と磐田へ一泊二日で行って来た。

土曜日。
浜北で私の作品「月夜の晩にあなたはいない」を夢の島プロジェクトという集団が公演をしてくれたのを観劇。
次の日も公演があったので、アドバイスとして主演二人にワンポイントずつ。
夜は演出の自宅に宿泊。「聞きたい」というので、ちょっと厳しい意見もまじえつつ感想を。

日曜日。
朝から磐田で高校生と稽古。
3月26日(木)18時30分~、磐田市民文化会館での公演のため。
作・演出で関わっているので。書下ろしです。ラスト10ページ(15分)をまだ渡せていませんが、そこまでの1時間ちょっとのシーンを一通りチェック。

浜北の方は、もう何度も自分で上演している作品のため、自分の中にイメージが出来ている。それに縛られることなく観劇するのは難しい。でも、どう上演しようが、「ここはこうだろうな」という部分はある。それを自分で確認したり、そこを上演者に指摘したり。「もっといいものを作りたい」と思う人には(前にも書いたが)、言いたいことを言っていきたい。
でも次の日に公演があるときは役者には「プラスの即効性のあることだけ」言って、ダメージになるようなことは言いたくない。欠点を挙げていくのは簡単だ。でも、それがプラスになっていかないなら意味が無いと思っている。
「中途半端に演劇やっている奴をつぶしていく」という目的でもあるなら、それもいいが。演劇をやっている者としては、「中途半端でも演劇をやっている奴」が増えていかないと、「演劇」という、文化?芸術?自体が廃れていくわけだから困るわけだ。そして自分も「中途半端に演劇をやっている奴」であるから。
アンケートを読ませてもらった。かつて私が上演したのも観ている方(県西部の高校演劇部の先生)が、「やっぱりこの作品は名作です」とアンケートに書いてくれてたのは作者として素直にうれしかったです。

磐田の方は、新作。それも、年末に高校生とやったワークショップを元にしているため、ほぼ「あて書き」。とはいえ、限られた紙面で17人の役を描いているので全てを描ききれるわけではない。
「あて書き」は
「君がこの役をやることを前提で、君に合わせて描いた」
という意味合いはあるが、
「ここまでしか描けてないから、後は君に任せる」
ということでもあるんだな、と思いながら描いている。
それが楽しくなるくらいが、自分の現場としては理想。


自分の書いたものを過不足なく演じよう(創ろう)としてくれることは、それはそれでありがたい。
でも、自分の書いた以上のものが生まれるから「稽古場」という空間が魅力的になる、と思っている。
だから「生もの」である演劇は、面白い、と思っている。
何しろ私の書く本は「完璧」ではないし、「ここはこう演じてもらわなければ困る」というほど自分の才能を信じ切れていない。
でも、だからこそ
「自分の書いた以上のものが生まれる」ような本を書いていきたいし
「自分の書いた以上のものが生まれる」現場を大事にしていきたいと思う。

「中途半端」上等だ。  


Posted by 伽藍座長 at 00:43Comments(0)日記

2009年02月06日

Gnome

今日は知り合いのバンド「Gnome」が駅地下でストリートライヴをしてるというので行ってきた。
といっても、ほぼ毎週金曜夜8時15分から1時間くらいやってる。私がしばらくぶりに行ったわけなんだが。
Gnomeは伽藍の稽古場で一番数多くライヴやってるグループだし、バンドの中心メンバーはこのバンド名にする以前から知り合い。

工事が終わり、広くなった駅前の地下道。というか地下広場?
20人前後の立ち止まり客の前で演奏してる。
ギター×2、ベース、ドラムはNGだからカホーン(箱状の打楽器)の4人編成。
別にすごく盛り上がってるというわけではないが、みんな演奏に耳を傾けてる。
軽いトークしながら。今日は落ち着き目の曲を主体に。
そして最後の曲をゆったりと歌うヴォーカルの子を見てたら、なんか胸が熱くなってきた。
なんだろう。出会ってから6年以上立つ間、いろんな事があったなあ、とか。
別にメンバーじゃないんだけど、
「そういえば、この子は路上でも箱ライヴでも、いつも全力で歌ってたよなあ」
と。それが変わることなく(もちろん歌うまくなってる)何年もやってる、って思ったら。

感傷的になるにはあまりにオープンな空間であったが、だからだろうか、昔の路上のことなんか思い出して。
「すごいよな、こいつは」
そんな敬意。
と、きっと曲のアレンジにやられてしまった気がする。

この人達の活動は見続けていよう。
そんな気になった。  


Posted by 伽藍座長 at 22:53Comments(0)日記

2009年02月05日

他人への攻撃

先日、久しぶりにネットサーフィン?してみた。
最近目が疲れやすいとか、時間がないとか、もともとパソコンの前にあまり座らないとか、いろいろ理由あって普段あんまりやらないのだが。

で、思ったのだが。
みんな好き勝手書いてるなあ
って。

その中でも
他人を攻撃したり、愚痴を並べ立てたり
といったものに遭遇すると、自分のエネルギーが吸い取られていく気がする。
なんか疲れてる自分に気付くのだ。
そして、自分のことでもないのに落ち込んでしまう。

特に、他人に対する攻撃。
自分にされてるわけじゃなくても、近い位置にいる場合は勝手にダメージ受けてしまってる。
具体的には芝居に関することとかね。

最近、あんまり他人の芝居に厳しいこと言わなくなった。
なんかね、一体何を基準に「いい芝居だ、悪い芝居だ」って言えばいいんだかわからなくなるんだよね。
もちろん、批評を求められれば、厳しいこともいうんだけど(自分の価値基準で)。
でも、求めてない
(言ってしまえば「自分たちが楽しければいい」みたいな)
芝居に対しては、聞く気がないんだから言っても意味はない。
それでも言わないと気がすまない人は言えばいいんだけど
自分としては「そういうのもあり」と思っている。
芝居は自己表現とか自己解放とかの役目もできるわけだから、「やってる人が楽しい」が一番の目的になる現場があっても当然だと思う。
「なら、そういうのに客を呼ぶなよ」
と言うかもしれないけど、それが嫌な人は観にいかなければいいわけで。
でもうっかり観ちゃった人は「失敗した」って思えば。
実際プロの芝居観ても「失敗した」って思うときは多々あるわけだからね。

若い時は他人の批判をすることで、自分のアイデンティティーを確立する
みたいな感覚もあったんだろう、私も結構厳しいこと言ってることもありました。
しかし、自分の出来ることや自分の好みがわかってくると、段々と他人を攻撃することに魅力を感じなくなってくる。
反骨精神みたいなものは持ち続けてはいるが。

他人を攻撃していると、自分が小さく見えてくるのだ。
創作力も落ちてくるのだ。
逆に
他人のいいところを見つけようと試みると
創作力や想像力が広がっていくのだ。
実感として。


自分はちっぽけな存在である
ということを拒否しよう、否定しようとする時
人は、攻撃の対象を探し、それを攻撃する事で
少しでも自分を優位に立たせようとする。

自分はちっぽけな存在である
ということを受け入れることにする時
人は、他人のいいところを探し、それを吸収しようとする事で
少しでも自分を豊かにしようとする。

そう私は思うのだ。  


Posted by 伽藍座長 at 00:25Comments(2)日記

2009年02月02日

幸せのおすそ分け

一週間前
友人の結婚披露パーティーの司会をやりました。
あまりかっちり決め事をせず、その時の流れでって感じで新郎新婦とも話してましたんで。
誰かが「記者会見みたいだ」といったら記者会見が始まったり
伴奏もないのにみんなで「マイムマイム」を踊ったり
やっぱり
幸せな気分になりますわね。

パーティー中に、参加者から一通の封筒を頂きました。
開けたら、4月の結婚式の招待状でした。
予定帳に印つけときました。

先週末、友人から「時間空けてくれ」と言われ
呑みに行ったら女連れ。
その女の子も知ってる子なんだけどね。
で、察しはついたが
「結婚するから」って。
「佐藤さんがキッカケみたいなものだから、まず最初に」
と言ってくれて
呑みました。
帰り道、道端で二人を両腕に抱えるようにハグしてた。
おじさん、よっぽど嬉しかったんでしょうね。

なんともめでたい新年のスタートとなっております。
ところで
自分の順番はいつ?  


Posted by 伽藍座長 at 22:48Comments(0)日記