2014年12月23日

舞台美術研究ゼミの公演

来年最初の公演です。来年は「伽藍博物堂」の名前でいくつか企画を挙げていこうと思います。その第一弾ってことで。


舞台美術の勉強会としてスタートした「舞台美術研究ゼミ(BQゼミ)」で、下記のように公演をうつことになりました。

日時:2015年1月17日(土)14時~、18時~
        18日(日)11時~、15時~
会場:清水駅前銀座と清水銀座の空き店舗3箇所
「元メガネの春田(清水区真砂町1-51)」
「元秋月堂(真砂町4-7)」
「元多賀書店(銀座10-12)」
チケット:一般2,000円、大学生以下1,000円(当日精算のみ。3会場共通チケットです。)
演目:
「紙風船」作:岸田國士、演出:佐藤剛史
出演:絢、高橋育男、小川領太、今野愛、佐藤剛史、藤牧由紀恵、他

これは舞台美術の勉強会から「実際に舞台に乗せてみよう」という話になり企画したものです。舞台美術を3案だして、それに合わせて役者を選び、制作をしています。使用する戯曲は岸田國士の代表作「紙風船」。30分ほどの短編ですので、お客さんには3会場をめぐってもらうようにプログラムを組んであります。
つまり、上記の開演時間にまず「元メガネの春田」に来てもらいます。そこで1パターンを観劇し、次に「元秋月堂」で2パターン目を観、最後に「元多賀書店」で3パターン目を観る。
同じ戯曲を一度に3パターン見られるので、演劇に詳しくない人も「舞台美術」や「演出」というものについて語りたくなるのではないでしょうか? そんな風になったら面白いな、と思ってます。

商店街を観劇して回る2時間弱のツアーになっております。また、チケットは3会場出入りできる共通パスになっております。前売り券は用意していません。全て当日精算です。が、現場の対応(客席の用意など)の都合上、来ていただける方はこちらに「何日、何時の会に何人で行くよ」などのメッセージをいただけると助かります。一応それで「予約」ってことで対応させていただきます。
よろしくお願いします。


同じカテゴリー(告知)の記事画像
明日の予定
仕込み
台風災禍
芝居小屋企画
明日の公演
戯曲集
同じカテゴリー(告知)の記事
 いつもとちょっと違う一人芝居公演 (2016-05-01 23:42)
 久しぶりに大人との競演 (2016-02-02 00:44)
 仕事始め (2016-01-05 18:01)
 3月の予定 (2015-03-15 00:19)
 短編映画 (2014-04-16 00:26)
 勉強会です (2014-04-10 14:11)

Posted by 伽藍座長 at 00:41│Comments(2)告知
この記事へのコメント
18日のマチネを観させていただきました。自分のメディアを持っていないので、こちらでよいのかわかりませんが、感想などを。
生の舞台を鑑賞するのは7年ぶりくらい、市内での観劇となると10年以上の間隔があります。
かつては演じたり書いたりしていたこともありまして、最近第三舞台の解散公演がらみの書籍を読んだことで舞台の空気にまた触れてみたくなっていたところに役者の小川氏からのお誘いを受け、足を運びました。

同じ戯曲を異なる演出や舞台美術によって観る機会は少ないものでしたが、今回の3形態の公演は以前に観たものよりも感じ入るところがありました。
A会場はスタンダードに思える演出で役者の関係性によってテキストでの夫婦の関係性への基礎的理解を促す。
B会場では別の解釈(妻の存在については、その死後の夫の回想と受け止めました)により、時間軸をずらした夫婦の関係性への視点を提供。
C会場では抽象的な舞台美術により、さらに純粋な「意味」に限った夫婦の関係性の解釈(あるいは夫婦とも死去した後の残り香を味わう他者のような視点)の提案。

観客の戯曲への視点を会場の移動という行為によりリセットし、観客の観劇の順番に沿って時間軸を「夫婦と同時代=戯曲の書かれたとき(A)」「少しだけ未来=戯曲が古典と呼ばれるようになった時代(B)」「遠い未来=現代またはさらに未来(C)」
という変化を感じさせ、そしてC会場の観劇終了後に現実に観客を戻すことで古典の持つ普遍性を浮かび上がらせる効果があったように感じます。

浅い理解ではありますが、装置や衣装からそのような意図を感じました。
個別のスタッフワークについての印象は以下のとおりです。
装置・衣装・照明とも上記の解釈に沿って「具象」「中間」「抽象」という効果を作っていたと感じます。
Aは時代性を純粋に写し取り、必要最小限で余計な情報はなし、最終盤は会場外の風景=自然光の中での演技という「そのまま」を感じさせるもの。
舞台奥のウインドウは「空間」「明かり」の変化にとどまらず、鏡面という性質を利用して通常は観客に見えない(相対している役者には見せない)隠れた表情や背中を見せるように
していたのは上手いなと思いました。
Bは回想や追憶という時間の「ズレた」雰囲気を細かな違和感(Aとは時代性の異なる衣装や積み重ねられたり、古さを感じる壁紙の面に貼られた多くの「現代の新聞」、影絵)で表現。
Cはシーソーによって視覚化された夫婦の関係性、赤い(毛)糸、砂浜の砂のごとき風化した記憶=破れた新聞の山、無機質な明かりと衣装による情報のそぎ落とし。

こういった発見は舞台美術を前面に押し出した舞台であるから得られるものでしょうし、戯曲が短編であることも理解や気づきの助けとなるものだと思います。
役者さんの演技の工夫もまた一方の柱となっていたように思いますし、なかなかに計算され、練られた企画だなと感服するものです。
作り手側からは15年近く離れていますが、また少しだけそちら側空気を吸ってみたいなという心の動きもありました。
お疲れ様でした、素敵な舞台を観させていただき感謝です。
Posted by 新田 at 2015年01月18日 20:52
新田様
丁寧なコメントありがとうございます。
こちらの意図した事がたくさん伝わってよかったと思っています。
また、C会場についての夫婦の解釈は私の意図とは違った視点も示していただき、こちらも新たな気づきを得られました。

また気が向きましたら劇場(に仕立てた会場)に足を運んでください。
あるいは、また作り手側の空気を吸いに来ていただいても面白いか、と思います。
Posted by 伽藍座長伽藍座長 at 2015年02月01日 23:16
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
舞台美術研究ゼミの公演
    コメント(2)