2011年12月02日
伝えたいことがあるから
「言いたい事があるから演劇をするんじゃない。伝えたいことがあるから演劇をするんだ。」
火曜日のワークショップで伝言ゲームのようなメニューをやっていた時に自分の口から出た言葉である。
あとで繰り返すと、なかなか的を得ていると思った。
ここでいう「言いたい事」と「伝えたい事」の違いは何だったのか?というと
「言いたい事」というのは「自分の話」であり
「伝えたい事」というのは「他人の話」を聞いて「伝えたい」と思ったときの事である。
言いたい事があるのなら
わざわざ演劇にするなんて遠まわしなことをしないでストレートに言えばいいのだ。
よく言うことだが「講演会でもした方がよっぽど言いたい事が分かりやすいし、伝わる」と思う。
自分の事ではない話を伝えたいと思った時、人はそれを「自分はこう感じた」というようにデフォルメして話したりする。それがいわゆる「演出」になるんだと思う。そこから「演劇」も生じたのだと思う。
もちろん「自分の話」も演劇にしていいと思っている。実際、そうしてる人も多いし。
でも、その時は「自分の話」を客観的に見られないと「演劇」にならないと思っている。
「客観的に見る」って一番分かりやすいのは「過去の話になっている」ってことだろう。
現在形になっていて、熱い気持ちのまま「演劇」にするんだったら、その「熱い気持ち」のまま「講演会」をしてしまった方がいい、と私は思っている。
「演劇」を作っている間に時間がたってしまい、「熱い気持ち」に変化が出来てしまう。あるいは周りの状況が変化してしまう。そうすると、出来上がった「演劇」は何かがずれたものになってしまっている場合が多い。
一方、「熱い気持ち」に変化は無く、そのまま「演劇」を作ってしまうのも、現実にはあるわけで。そういう舞台は大抵、お客は置いてきぼりを食ってしまう。
「演劇」を作るには、熱い気持ちは必要なんだが、ちょっとだけ立ち止まることが必要だ。
立ち止まって、客観的に見ることだ。
そうすると、その中に「普遍的な何か」を見つけることがある。
それを見つけられたら「演劇」を作ることが出来る。
そう思っている。
「伝えたい事」とは、その「普遍的な何か」である。
「言いたい事」は、仲間内で鍋でも囲みながらするに限る。
火曜日のワークショップで伝言ゲームのようなメニューをやっていた時に自分の口から出た言葉である。
あとで繰り返すと、なかなか的を得ていると思った。
ここでいう「言いたい事」と「伝えたい事」の違いは何だったのか?というと
「言いたい事」というのは「自分の話」であり
「伝えたい事」というのは「他人の話」を聞いて「伝えたい」と思ったときの事である。
言いたい事があるのなら
わざわざ演劇にするなんて遠まわしなことをしないでストレートに言えばいいのだ。
よく言うことだが「講演会でもした方がよっぽど言いたい事が分かりやすいし、伝わる」と思う。
自分の事ではない話を伝えたいと思った時、人はそれを「自分はこう感じた」というようにデフォルメして話したりする。それがいわゆる「演出」になるんだと思う。そこから「演劇」も生じたのだと思う。
もちろん「自分の話」も演劇にしていいと思っている。実際、そうしてる人も多いし。
でも、その時は「自分の話」を客観的に見られないと「演劇」にならないと思っている。
「客観的に見る」って一番分かりやすいのは「過去の話になっている」ってことだろう。
現在形になっていて、熱い気持ちのまま「演劇」にするんだったら、その「熱い気持ち」のまま「講演会」をしてしまった方がいい、と私は思っている。
「演劇」を作っている間に時間がたってしまい、「熱い気持ち」に変化が出来てしまう。あるいは周りの状況が変化してしまう。そうすると、出来上がった「演劇」は何かがずれたものになってしまっている場合が多い。
一方、「熱い気持ち」に変化は無く、そのまま「演劇」を作ってしまうのも、現実にはあるわけで。そういう舞台は大抵、お客は置いてきぼりを食ってしまう。
「演劇」を作るには、熱い気持ちは必要なんだが、ちょっとだけ立ち止まることが必要だ。
立ち止まって、客観的に見ることだ。
そうすると、その中に「普遍的な何か」を見つけることがある。
それを見つけられたら「演劇」を作ることが出来る。
そう思っている。
「伝えたい事」とは、その「普遍的な何か」である。
「言いたい事」は、仲間内で鍋でも囲みながらするに限る。