2011年06月02日

社会派と呼ばれて

原発を題材にした芝居がうける。
笑い事じゃないご時世なのに、笑う。
何でだろうか?

あの、最近テレビでよく見る光景。
「用意したこと以外はしゃべらない(しゃべれない)」人たち。
質問が出ると隣の人と協議に入る、のに、明確な答えはない。
いらいらというか、もやもやというか、ストレスが溜まる。

そんな皆さんが
「日吉町原発」を観ると
そのストレスをここぞとばかりに吐き出すように笑う
のだと思う。
笑い事じゃないのに

あの芝居で笑えるということは
今テレビでよく見る光景が
「間違っている!」
と感じているということだ。

そして、現場の人は苦しんでいるんだ
ということも感じていると思う。


静岡に空港が、出来る、出来ない、延期する、暫定開港する、・・・
と盛り上がっていた時に「山梨空港」を上演していた時にも思った。
いくらでも笑う客席を見ながら
「何だよ、みんな俺と一緒で、おかしい(「面白い」ではなく「変だ」という意味)って思ってるんじゃないか」と。


一つ、これは演劇の使い方として正しいのだと思う。  


Posted by 伽藍座長 at 01:43Comments(0)日記