2008年12月01日
アフタートーク
先日のSPACアフタートーク。
体力的にヘロヘロになりながら、宮城さんとお話しました。
いろんな話をしましたが、あとから「あ、あそこまで話広がったな」なんて今思い返してるところです。
その中の一つ。
東静岡駅の前にある「静岡芸術劇場」で演劇が上演されてます。
で、ここは県が予算をとって、劇場と劇団を抱えているのです。
では、そこで上演される演劇はどんなものが良いのか?
そこで、宮城さんは今回
歴史上、世界中で最も上演されているといわれる戯曲「ハムレット」を上演することにしたそうです。
オーソドックス中のオーソドックスを。
対して我々は、街中の小さな劇場で公演を打つわけです。劇場としては真逆のような環境で。
だから意識するわけです。真逆の環境でやれることを。
それは、同じようにオーソドックスな戯曲の上演でもいいわけです。同じ戯曲でも環境が違うとどうなるか?なんてことは興味をそそりますしね。
あるいは、まったく違った形、例えばオリジナルの戯曲を上演する。まあ、それはいつもやってることですね。
でも、もっと自由にできるんじゃないか?そんな模索はいつもやってますね。
一人芝居や即興や音楽ライヴや朗読やダンスや・・・
でも、もっと。
あちらは大きいだけに、いろいろな縛りもあるでしょうが、こちらは個人経営なので、私が「うん」って言えばできちゃうわけです。これは実は強みなんだろうな、と思いました。
時にこの対比において。
「あっちは税金使ってるからいいけど、こっちは自腹切ってやってんだ。たまんねぇぜ。」
って話になりがちですが、そればかりでもないよな、と。
ああいう大きな劇場がオーソドックスに、でん!と構えているからこそ、自分たちの特徴というものをウリに出来るんじゃないだろうか。
昔近所にサールナートホールがあったころは
「静岡市下北沢化計画」
なんて話で盛り上がりました。静岡の街中が演劇の街「下北沢」みたいになれるかも、という期待を込めて。
サールナートホールが「本多劇場」。うちが「スズナリ」。で、当時芝居を上演させてもらってた呑み屋を規模的に「駅前劇場」と見立てて。他にもメディアホールなんて300人以上収容のホールもありましたね。
あれから10年近く。
残ってるのはうちだけか・・・
(正確にはサールナートホールは一般貸し出しをやめただけで、ホールではお寺さんの催しは時々やってます。またメディアホールも残ってはいますが、ビルごといろんな人に売り渡されて、今ではメガネトップのメガネ倉庫になっています。なんてかわいそうなホール・・・)
そう、演劇には様々な形態、表現方法がある。
だからいろんなスペースごとにいろんな試みが出来る。
そう考えると、いろんな劇場がほしいのです。
そう考えると、自分のこのボロな劇場を、あの大きな劇場と同等に議論してもいい気になりました。
そんなつもりで、このスペースを使っていけるんじゃないだろうか、あるいは繋がれる様な形があるのかも、と。
金銭的にも人材的にも恵まれた劇場の芸術監督と話をしながら
「嫉妬」ではなく「勇気」をもらった気がしました。
あ、俺も大人になったな。
さて、何が出来るのか?
この冬の宿題です。
体力的にヘロヘロになりながら、宮城さんとお話しました。
いろんな話をしましたが、あとから「あ、あそこまで話広がったな」なんて今思い返してるところです。
その中の一つ。
東静岡駅の前にある「静岡芸術劇場」で演劇が上演されてます。
で、ここは県が予算をとって、劇場と劇団を抱えているのです。
では、そこで上演される演劇はどんなものが良いのか?
そこで、宮城さんは今回
歴史上、世界中で最も上演されているといわれる戯曲「ハムレット」を上演することにしたそうです。
オーソドックス中のオーソドックスを。
対して我々は、街中の小さな劇場で公演を打つわけです。劇場としては真逆のような環境で。
だから意識するわけです。真逆の環境でやれることを。
それは、同じようにオーソドックスな戯曲の上演でもいいわけです。同じ戯曲でも環境が違うとどうなるか?なんてことは興味をそそりますしね。
あるいは、まったく違った形、例えばオリジナルの戯曲を上演する。まあ、それはいつもやってることですね。
でも、もっと自由にできるんじゃないか?そんな模索はいつもやってますね。
一人芝居や即興や音楽ライヴや朗読やダンスや・・・
でも、もっと。
あちらは大きいだけに、いろいろな縛りもあるでしょうが、こちらは個人経営なので、私が「うん」って言えばできちゃうわけです。これは実は強みなんだろうな、と思いました。
時にこの対比において。
「あっちは税金使ってるからいいけど、こっちは自腹切ってやってんだ。たまんねぇぜ。」
って話になりがちですが、そればかりでもないよな、と。
ああいう大きな劇場がオーソドックスに、でん!と構えているからこそ、自分たちの特徴というものをウリに出来るんじゃないだろうか。
昔近所にサールナートホールがあったころは
「静岡市下北沢化計画」
なんて話で盛り上がりました。静岡の街中が演劇の街「下北沢」みたいになれるかも、という期待を込めて。
サールナートホールが「本多劇場」。うちが「スズナリ」。で、当時芝居を上演させてもらってた呑み屋を規模的に「駅前劇場」と見立てて。他にもメディアホールなんて300人以上収容のホールもありましたね。
あれから10年近く。
残ってるのはうちだけか・・・
(正確にはサールナートホールは一般貸し出しをやめただけで、ホールではお寺さんの催しは時々やってます。またメディアホールも残ってはいますが、ビルごといろんな人に売り渡されて、今ではメガネトップのメガネ倉庫になっています。なんてかわいそうなホール・・・)
そう、演劇には様々な形態、表現方法がある。
だからいろんなスペースごとにいろんな試みが出来る。
そう考えると、いろんな劇場がほしいのです。
そう考えると、自分のこのボロな劇場を、あの大きな劇場と同等に議論してもいい気になりました。
そんなつもりで、このスペースを使っていけるんじゃないだろうか、あるいは繋がれる様な形があるのかも、と。
金銭的にも人材的にも恵まれた劇場の芸術監督と話をしながら
「嫉妬」ではなく「勇気」をもらった気がしました。
あ、俺も大人になったな。
さて、何が出来るのか?
この冬の宿題です。