2011年10月26日
「事の始まり」を振り返る
さて、「まつろうもの」の振り返りです。
まずは、企画段階の話から。
今年の2月に企画書をSPACに提出し、それが採用されると、10月に公演ができる、という流れでした。
ですから2月の時点で何をやるか?を決めてなくてはいけません。
しかし、「公募によって集まった人により劇団を結成しろ」と言われているわけです。ですから、「誰が出るのか分からない」「自分の知らない人を舞台に上げなければいけない」わけです。そんな状態で作品を決めることは、私には出来ませんでした。一番良いのは「集まった人と一緒にオリジナルの作品を作ること」だろう、と判断しました。
提出用の書式は、いかにも「有名古典の、誰のなんと言う作品を君はどういうふうに演出するのだい?」という書式でした。なので、「出演者が決まっていないのに、作品など決められません」と企画書に堂々と書いてやりました。実は昨年も同じ。
喧嘩売ってるみたいですが、どう考えても私にはそういう方法でしか無理だと思ったからです。
でも、そこは私も大人ですから。しかも二年目ですから。
オリジナルをやるにしても「どういう方向の作品にする」とか、仮でもいいので「タイトル」を作るとか、そのくらいはしておこう、と。
で、考えました。
昨年も思ったのですが、野外の舞台ですから、何か神様みたいなものを感じる空間だと思っているわけです。そこから昨年は「日本人が『神様』を意識しはじめて『まつり』を始めた時ってどんなだったんだろう?」と思い、オリジナルで原初的なお祭りを作ってみたりしました。
そこで、今年も「おまつり」を題材にしようと思ったわけです。
「まつり」という言葉の語源を探り始めました。
元は「神様を待つ」から「まつり」という。あ、どっかで聞いたな「神様を待つ」「神様を待ちながら」「ゴドーを待ちながら」、面白くなってきた。
「待つ」「祀る」「奉る」「祀ろう」「奉ろう」「まつ」「まつる」「たてまつる」「まつろう」「まつり」
そんなわけで、仮のタイトルを「まつろうもの」としてぼかしつつ、「神様と人間の話としてのまつり」を題材にしよう。と思ったのでした。
そして提出。
採用。
打ち合わせ。
震災・・・・
ここで思うわけです。
自分たちは芝居なんかやってる場合なのか?と
もしやるにしても、考え直さなきゃいけないんじゃないだろか?と
「芝居で日本を元気にする」?芝居はちょっと違う気がする
「この悲しみを表現する」?被災者でもないのに、どこまで表現できるだ?
「何事も無かったように舞台をする」?いや、それはできんだろう
そこから想像力に頼ります。
次は静岡だ。近い将来、自分たちは被災者になるだろう。その時自分たちはあのような瓦礫の中でどうやって立ち直っていけるんだろうか?と。
自分が思ったのは
被災して死んでしまったら、もうそれはどうしようもない。死を受け入れるしかないのだろうな。(って死んでるから受け入れるも何も考えられないだろうけど)
もし生き残って、愛する人さえ失ってしまったら・・・。その人のことを大事に思って生き続けなきゃいけない、と自分に言い聞かせるんじゃないだろうか。
その時、自分の周りに誰かが同じように生き残っているはずだ。その人たちがいる、と思うだけで少しでも気持ちが救われるんじゃないだろか。
最後に
「あなたがいてよかった」(現在形でも、過去形でも可)
という言葉が言えたら
それが今回の作品のテーマになるだろう。
と、誰がやるかも決まっていない段階で決めたことでした。
つづく
まずは、企画段階の話から。
今年の2月に企画書をSPACに提出し、それが採用されると、10月に公演ができる、という流れでした。
ですから2月の時点で何をやるか?を決めてなくてはいけません。
しかし、「公募によって集まった人により劇団を結成しろ」と言われているわけです。ですから、「誰が出るのか分からない」「自分の知らない人を舞台に上げなければいけない」わけです。そんな状態で作品を決めることは、私には出来ませんでした。一番良いのは「集まった人と一緒にオリジナルの作品を作ること」だろう、と判断しました。
提出用の書式は、いかにも「有名古典の、誰のなんと言う作品を君はどういうふうに演出するのだい?」という書式でした。なので、「出演者が決まっていないのに、作品など決められません」と企画書に堂々と書いてやりました。実は昨年も同じ。
喧嘩売ってるみたいですが、どう考えても私にはそういう方法でしか無理だと思ったからです。
でも、そこは私も大人ですから。しかも二年目ですから。
オリジナルをやるにしても「どういう方向の作品にする」とか、仮でもいいので「タイトル」を作るとか、そのくらいはしておこう、と。
で、考えました。
昨年も思ったのですが、野外の舞台ですから、何か神様みたいなものを感じる空間だと思っているわけです。そこから昨年は「日本人が『神様』を意識しはじめて『まつり』を始めた時ってどんなだったんだろう?」と思い、オリジナルで原初的なお祭りを作ってみたりしました。
そこで、今年も「おまつり」を題材にしようと思ったわけです。
「まつり」という言葉の語源を探り始めました。
元は「神様を待つ」から「まつり」という。あ、どっかで聞いたな「神様を待つ」「神様を待ちながら」「ゴドーを待ちながら」、面白くなってきた。
「待つ」「祀る」「奉る」「祀ろう」「奉ろう」「まつ」「まつる」「たてまつる」「まつろう」「まつり」
そんなわけで、仮のタイトルを「まつろうもの」としてぼかしつつ、「神様と人間の話としてのまつり」を題材にしよう。と思ったのでした。
そして提出。
採用。
打ち合わせ。
震災・・・・
ここで思うわけです。
自分たちは芝居なんかやってる場合なのか?と
もしやるにしても、考え直さなきゃいけないんじゃないだろか?と
「芝居で日本を元気にする」?芝居はちょっと違う気がする
「この悲しみを表現する」?被災者でもないのに、どこまで表現できるだ?
「何事も無かったように舞台をする」?いや、それはできんだろう
そこから想像力に頼ります。
次は静岡だ。近い将来、自分たちは被災者になるだろう。その時自分たちはあのような瓦礫の中でどうやって立ち直っていけるんだろうか?と。
自分が思ったのは
被災して死んでしまったら、もうそれはどうしようもない。死を受け入れるしかないのだろうな。(って死んでるから受け入れるも何も考えられないだろうけど)
もし生き残って、愛する人さえ失ってしまったら・・・。その人のことを大事に思って生き続けなきゃいけない、と自分に言い聞かせるんじゃないだろうか。
その時、自分の周りに誰かが同じように生き残っているはずだ。その人たちがいる、と思うだけで少しでも気持ちが救われるんじゃないだろか。
最後に
「あなたがいてよかった」(現在形でも、過去形でも可)
という言葉が言えたら
それが今回の作品のテーマになるだろう。
と、誰がやるかも決まっていない段階で決めたことでした。
つづく