2009年01月22日
何故に社会派?
昨晩も水曜ということでフリーキーの舞台に立ってきました。
「国際平和学園・中等部」
声に出して読むとお分かりだと思いますが、「中等部」は「中東部」とかけてあります。
先週、一緒にフリーキーをやってる渡辺君と開演前に話してて
今、国際情勢があまりにホットすぎて舞台化するのに躊躇する
というような話になった。
で、少し距離をとれる「山梨空港」を上演しましたが。
しかし、昨日は一応の停戦を見た、ということで舞台に乗せてみました。
単にネタにして面白がってるだけではないつもりです。
世の中で起きている、何だかよくわからない理不尽に思える複雑な状況を
「演劇」「舞台」という表現を使ってわかりやすく検証してみる。
そういうことを目指してみよう、と。
で、昨晩の話は
中学三年のオルメルト君が、中学一年のハマス君に叩かれた、といって仕返しにバットで殴った
という問題を重く見た生活指導の先生が、生活指導室でオルメルト君と話す
という内容でした。
演劇は観客に夢を持たせる、夢を見させるものだ
という側面もある。
しかし、昔から演劇はジャーナリズムとしての役割も持っている。
だから現実社会と密接に繋がりあっているべきなんじゃないか
そのことによって、夢もない現実を突きつけることになったとしても
あえて
「なんで夢もない現実に感じるんだい?」
って言わなきゃいけない気がする。
演劇にはいろんな側面がある
自分はいろんな側面の舞台と関わりあう
その中でも一人芝居は
最も即応性のある舞台である
だから、危ない作品をやることが多くなってしまう。
「言っちゃいけないことをやるからいい」
と支持してくれる人もいる。
以前小学校の読み聞かせで
谷川俊太郎の詩「ばか」
を読もうと思ったが
「自粛」することになった
どうやら最近の小学校では指導側は
「ばか」
という言葉を使ってはいけないことになっているそうだ。
理由は
「ばか」という言葉が流行ると友達を「ばか」呼ばわりしてしまう。それを先生側がしてはいけない
というようなものだった気がする。
そういう危険な言葉は現場に持ち込んではいけない。
だけどそういう危険な言葉は消えてなくなるわけではないので、闇の世界で生きていく
例えばネット社会で
だったら現場で使っちゃって、もっと使い古してしまった方が、そういう危険な言葉がスレてトゲが弱まったり、免疫が出来たりするんじゃないか、と私は思うんだけど。
でも、そういう危険な言葉は闇の世界で純粋培養でもして、どこかで誰かを傷つけたり、死に至らしめたりしてる方が
「そんなことがあったなんて知りませんでした」という言い訳が出来るから安全
とでも、思ってるんだろうか?
思っちゃいないはずだ。現場の多くの人は。
でも、そういう皮肉を言えてしまえる現状になっているってことは
どこかで誰かが、現場とは違う理由での履き違えを起こしてるからなんじゃないか?
と思う。
事件は、会議室でなく現場で起きているんだ
けど
問題は、会議室
にあるんじゃないだろうか?
「国際平和学園・中等部」
声に出して読むとお分かりだと思いますが、「中等部」は「中東部」とかけてあります。
先週、一緒にフリーキーをやってる渡辺君と開演前に話してて
今、国際情勢があまりにホットすぎて舞台化するのに躊躇する
というような話になった。
で、少し距離をとれる「山梨空港」を上演しましたが。
しかし、昨日は一応の停戦を見た、ということで舞台に乗せてみました。
単にネタにして面白がってるだけではないつもりです。
世の中で起きている、何だかよくわからない理不尽に思える複雑な状況を
「演劇」「舞台」という表現を使ってわかりやすく検証してみる。
そういうことを目指してみよう、と。
で、昨晩の話は
中学三年のオルメルト君が、中学一年のハマス君に叩かれた、といって仕返しにバットで殴った
という問題を重く見た生活指導の先生が、生活指導室でオルメルト君と話す
という内容でした。
演劇は観客に夢を持たせる、夢を見させるものだ
という側面もある。
しかし、昔から演劇はジャーナリズムとしての役割も持っている。
だから現実社会と密接に繋がりあっているべきなんじゃないか
そのことによって、夢もない現実を突きつけることになったとしても
あえて
「なんで夢もない現実に感じるんだい?」
って言わなきゃいけない気がする。
演劇にはいろんな側面がある
自分はいろんな側面の舞台と関わりあう
その中でも一人芝居は
最も即応性のある舞台である
だから、危ない作品をやることが多くなってしまう。
「言っちゃいけないことをやるからいい」
と支持してくれる人もいる。
以前小学校の読み聞かせで
谷川俊太郎の詩「ばか」
を読もうと思ったが
「自粛」することになった
どうやら最近の小学校では指導側は
「ばか」
という言葉を使ってはいけないことになっているそうだ。
理由は
「ばか」という言葉が流行ると友達を「ばか」呼ばわりしてしまう。それを先生側がしてはいけない
というようなものだった気がする。
そういう危険な言葉は現場に持ち込んではいけない。
だけどそういう危険な言葉は消えてなくなるわけではないので、闇の世界で生きていく
例えばネット社会で
だったら現場で使っちゃって、もっと使い古してしまった方が、そういう危険な言葉がスレてトゲが弱まったり、免疫が出来たりするんじゃないか、と私は思うんだけど。
でも、そういう危険な言葉は闇の世界で純粋培養でもして、どこかで誰かを傷つけたり、死に至らしめたりしてる方が
「そんなことがあったなんて知りませんでした」という言い訳が出来るから安全
とでも、思ってるんだろうか?
思っちゃいないはずだ。現場の多くの人は。
でも、そういう皮肉を言えてしまえる現状になっているってことは
どこかで誰かが、現場とは違う理由での履き違えを起こしてるからなんじゃないか?
と思う。
事件は、会議室でなく現場で起きているんだ
けど
問題は、会議室
にあるんじゃないだろうか?
Posted by 伽藍座長 at 16:25│Comments(0)
│日記