2009年05月16日
せりふ
前のブログに「せりふ入ったら本番」な話を書きました。
うんと昔に「せりふは入れるんじゃなくて、入るものだ」ってな話を書いた気もします。
ということで「せりふ」について思うことを。
せりふは、やはりいまだに「入れる」ものじゃなくて「入る」ものだと思ってます。
だから稽古でも「せりふ入らない」といって悩む役者にも「そのうち入るから」といって待ちます。(もちろん「ちゃんと本を読んでいれば」って前提ですよ)
それは、「早く入れるよ」とプレッシャーをかけると、役者はとりあえず暗記しようとする。それもまずは自分のせりふだけを。その気持ちはわかる。なにしろ日本の教育はそれが「最も確実な勉強方法である」としているのだから。
しかし、こと演劇のせりふに関しては弊害が生じることが多い。
演劇のせりふは「字面(じづら)」ではないからだ。(「字面」をウリにする演劇もあるだろうが)
演劇は身体と気持ちと言葉がつながって初めて「表現」になると思うからだ。
だから、字面を暗記してきただけの役者は、言葉が身体や気持ちと繋がっていないのだ。現場ではそんなアンバランスな状態の役者の、身体と気持ちを字面につなげて、字面を言葉にしていかなければならない。しかも役者が、字面を暗記してきているので「そこそこ出来ている」気になっていると、それに気付かせるのにさらに時間がかかる。
だったら、はじめから身体と気持ちと言葉をつなげて稽古するほうが、せりふの入りは遅いかもしれないが、結果的に限られた稽古時間を有効に使える。いや、その方が「せりふの入りはいい」。
そう経験として思っているからだ。
「せりふの入りはいい」と断言したが、それは私の思う「せりふの入っている状態」という意味だ。
人によっては「字面を暗記すること」=「せりふが入った」であるかもしれない。
でも字面だけ暗記する方が難しいんだよ。字面の意味を知って読んでるほうが入りやすいでしょ。
せりふに限らず、言葉を覚えることってそうじゃないですかね?
その言葉だけじゃなくって、その言葉の意味を知っておくほうがその言葉を覚えやすい。身体で覚えた方が忘れない。
人と人とのコミュニケーションは、言葉で無い部分で伝わることが多いですよね。
言葉ではこう言ってるけど、目はそう言ってない、とか。
伝えたいのは「気持ち」であって、その気持ちを補完するために「言葉」があるんだ、って思います。
だから本当に大事な話は会って話をしたい、と思います。会った時に感じる相手との空気感が大事なんじゃないか、と。
その大事なものって、これもまた言葉にしにくいもので。
だからそれを表現する一つの方法として、
私は演劇をやっているのだ、と思っています。
うんと昔に「せりふは入れるんじゃなくて、入るものだ」ってな話を書いた気もします。
ということで「せりふ」について思うことを。
せりふは、やはりいまだに「入れる」ものじゃなくて「入る」ものだと思ってます。
だから稽古でも「せりふ入らない」といって悩む役者にも「そのうち入るから」といって待ちます。(もちろん「ちゃんと本を読んでいれば」って前提ですよ)
それは、「早く入れるよ」とプレッシャーをかけると、役者はとりあえず暗記しようとする。それもまずは自分のせりふだけを。その気持ちはわかる。なにしろ日本の教育はそれが「最も確実な勉強方法である」としているのだから。
しかし、こと演劇のせりふに関しては弊害が生じることが多い。
演劇のせりふは「字面(じづら)」ではないからだ。(「字面」をウリにする演劇もあるだろうが)
演劇は身体と気持ちと言葉がつながって初めて「表現」になると思うからだ。
だから、字面を暗記してきただけの役者は、言葉が身体や気持ちと繋がっていないのだ。現場ではそんなアンバランスな状態の役者の、身体と気持ちを字面につなげて、字面を言葉にしていかなければならない。しかも役者が、字面を暗記してきているので「そこそこ出来ている」気になっていると、それに気付かせるのにさらに時間がかかる。
だったら、はじめから身体と気持ちと言葉をつなげて稽古するほうが、せりふの入りは遅いかもしれないが、結果的に限られた稽古時間を有効に使える。いや、その方が「せりふの入りはいい」。
そう経験として思っているからだ。
「せりふの入りはいい」と断言したが、それは私の思う「せりふの入っている状態」という意味だ。
人によっては「字面を暗記すること」=「せりふが入った」であるかもしれない。
でも字面だけ暗記する方が難しいんだよ。字面の意味を知って読んでるほうが入りやすいでしょ。
せりふに限らず、言葉を覚えることってそうじゃないですかね?
その言葉だけじゃなくって、その言葉の意味を知っておくほうがその言葉を覚えやすい。身体で覚えた方が忘れない。
人と人とのコミュニケーションは、言葉で無い部分で伝わることが多いですよね。
言葉ではこう言ってるけど、目はそう言ってない、とか。
伝えたいのは「気持ち」であって、その気持ちを補完するために「言葉」があるんだ、って思います。
だから本当に大事な話は会って話をしたい、と思います。会った時に感じる相手との空気感が大事なんじゃないか、と。
その大事なものって、これもまた言葉にしにくいもので。
だからそれを表現する一つの方法として、
私は演劇をやっているのだ、と思っています。
Posted by 伽藍座長 at 23:53│Comments(1)
│日記
この記事へのコメント
台詞と俳優の身体について、私もいろいろ考えることがあるので、とても参考になりました。経験によって培われたことは、説得力がありますね。
Posted by おおば at 2009年05月17日 20:18